希代の建築家
伊藤忠太(1867-1954)![]()
明治25年東京帝国大学卒業後、同大学院に進む。
学生時代から興味のあった「法隆寺」についての研究を始め、この寺が世界最古の木造建築ということを発見します。それと共に法隆寺の中門とギリシャ神殿の姿が何となく似ていることに、法隆寺の基本意匠はユーラシア大陸からやってきたものだという仮説を立て、この仮説を立証すべくギリシャまで北京.インド.ペルシャを経由してロバにまたがって3年かけて歩き始めました。
残念ながらこの旅で前出の仮説は立証されませんでしたが、途中に立ち寄った地で建築のエッセンスを十分吸収し後の彼の建築に活かされました。
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当時の建築は欧米の影響が強かったため、アジアンテイストなデザインを感じれるのは忠太の動物達だけだったようです。
彼は先ほどの旅の途中で、これまた大谷探検隊で旅行中の仏教界の異端者、大谷光瑞と出逢い、帰国後、明治43年に神戸東灘の通称「岡本山」にニ楽荘という施設の設計に参加します。
残念ながら、このニ楽荘は、70年前に放火と見られる不審火により消滅しました。一般公開時には、どっと人が訪れたといいます。
その後も施主光瑞と建築家忠太との関係は明治45年の真宗信徒生命保険会社(現、伝道院)昭和9年の築地本願寺へと続きます。
祇園閣
以前、このあたりを徘徊している時に同行者に「これはお寺?」と聞かれた事があります。京都という町柄から寺院に間違われてもおかしくない建物であり、それだけ周囲の景観をよく考えられたものだということでしょう。
この建物は現在の「ホテルニューオータニ」「大倉土木」などのオーナー企業であった。大谷財閥の創始者であった大谷喜八郎の別荘の敷地であったこの地に建てた高楼です。
建物本体は祇園祭の山鉾をモチーフにしたとされています。
最頂部には彼の号であった「鶴彦」からとった「鶴」が飾られています。
現在ではこのあたりの景観に土着したものになったと私は思うのですが、彼の息子であった大谷喜七郎は「悪趣味だ」という一言を残し、この建物には一切近寄らなかったそうです。
遷都1200年の記念事業には国際指名コンペによる「JR京都駅」の建設が実施されましたから、遷都記念事業には常に話題になる巨大建築が出来るのが京都では慣例化しているようです。次の1300年記念事業にはどのような建物が出来るのか楽しみですが、そのころには私自身はこの世の人ではないでしょう。
建設された年代は新しい部類になりますが、この建物のモチーフ、モデルになったものは平安時代のもので、それを忠実に建築学者で建築家であった内匠寮技師の木子清敬と当時帝国大学院生であった忠太とが再現したのです。
竣工 明治28年 住所 京都市左京区岡崎西天王町97 設計 木子清敬、伊東忠太 施工 直営 構造 木造1,2階造
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現在でも、完全な形で残っていますが、この壁画をじっくりと見ている人は、ほとんど見かけません。
もう阪急百貨店の風景として当たり前となってしまったのでしょうか。
中央の写真にあるドームの装飾、シャンデリアの意匠も彼の作品です。
ここが昭和初期の阪急電車のコンコースであったというのは、贅沢な印象が否めません。
ヨーロッパの主要なターミナル(ミラノ中央駅、ローマ,テルミニ駅、パリ,リヨン駅など)ではいまでもこのような装飾ずくめの贅沢なコンコースが見られますが、日本では皆無と言ってもいいでしょう。(すぐに頭に浮かぶものとすればJR東京駅,丸の内側の天井ドームを配したコンコースぐらいでしょうか)
関西での伊藤忠太の作品は、京都の平安神宮、伝道院、祇園閣、神戸のニ楽荘と大阪のこの壁画なのですが、ニ楽荘は遥か昔に焼失し、伝導院は改装中なので、現在鑑賞可能なのは「平安神宮」「祇園閣」とこの作品だけです。
しかも貴重な彼の作品が無料で鑑賞し放題なのです。機会があれば是非どうぞ。
竣工 昭和4年(1929) 設置場所 大阪市北区角田町8 (阪急百貨店内、南側) 意匠 伊藤忠太

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