現在でも、完全な形で残っていますが、この壁画をじっくりと見ている人は、ほとんど見かけません。もう阪急百貨店の風景として当たり前となってしまったのでしょうか。
下の写真にあるドームの装飾、シャンデリアの意匠も設計は伊藤忠太です。
ここが昭和初期の阪急電車のコンコースであったというのは、贅沢な印象が否めません。
関西での伊藤忠太の作品は、京都の平安神宮、伝道院、祇園閣、神戸のニ楽荘と大阪のこの壁画なのですが、ニ楽荘は遥か昔に焼失し、伝導院は改装中なので、現在鑑賞可能なのは「平安神宮」「祇園閣」とこの作品だけです。しかも貴重な彼の作品が無料で鑑賞し放題なのです。機会があれば是非どうぞ。
〜追記〜
「機会があれば是非どうぞ」とこの文章を綴った時には、このコンコースが解体されるという事は夢にも思っていなかったのですが、それが現実のものとなります。私も新聞報道で知ったのですが、このコンコースは阪急百貨店の全面改装に伴い解体が、決定の運びとなりました。言葉がありません。阪急に裏切られたという思いで一杯です。
(2005年9月吉日)
竣工 昭和4年(1929) 設置場所 大阪市北区角田町8 (阪急百貨店内、南側)意匠 伊藤忠太 施工 竹中工務店
![]()
![]()
![]()
![]()
希代の建築家
伊藤忠太(1867-1954)![]()
明治25年東京帝国大学卒業後、同大学院に進む。学生時代から興味のあった「法隆寺」についての研究を始め、この寺が世界最古の木造建築ということを発見します。
それと共に法隆寺の中門のエンタシスとギリシャ神殿のそれが類似していることに着目し、法隆寺の基本意匠はユーラシア大陸からやってきたものだという仮説を立て、この仮説を立証すべくギリシャまで北京.インド.ペルシャを経由してロバにまたがって3年かけて歩き始めました。
残念ながらこの旅で、前出の仮説は立証されませんでしたが、途中に立ち寄った地で建築のエッセンスを十分吸収し後の彼の建築に活かされました。
![]()
当時の建築は欧米の影響が強かったため、アジアンテイストなデザインを感じれるのは忠太の建築だけだったようです。彼は先ほどの旅の途中で、これまた大谷探検隊で旅行中の仏教界の異端者、大谷光瑞と出逢い、帰国後、明治43年に神戸東灘の通称「岡本山」にニ楽荘という教育施設の設計に顧問として参加します。
残念ながら、この「ニ楽荘」は、70数年前に放火と見られる不審火により消滅しました。一般公開時には、どっと人が訪れたといいます。その後も施主光瑞と建築家忠太との関係は明治45年の真宗信徒生命保険会社(現、伝道院)昭和9年の築地本願寺へと続きます。
祇園閣
以前、この辺りを散策している時、同行者に「これはお寺?」と聞かれた事があります。京都という町柄から寺院に間違われてもおかしくない建物であり、それだけ周囲の景観に配慮されたものだということでしょう。
この建物は現在の「ホテルニューオータニ」「大倉土木」などのオーナー企業であった。大谷財閥の創始者であった大谷喜八郎の別荘の敷地であったこの地に建てた高楼です。
建物本体は祇園祭の山鉾をモチーフにしたとされています。
最頂部には彼の号であった「鶴彦」からとった「鶴」が飾られています。
現在ではこのあたりの景観に土着したものになったと私は思うのですが、彼の息子であった大谷喜七郎は「悪趣味だ」という一言を残し、この建物には一切近寄らなかったそうです。

平安神宮 
現在では京都での初詣客の大半を集めるこの寺院も建築年度から見ると、近代に属するもので、京都遷都1100年の記念事業の一環として新規で建築された神社です。建設された年代は新しい部類になりますが、この建物のモチーフ、モデルになったものは平安時代に実在した平安京大極殿で、それを忠実に内匠寮技師の木子清敬と当時帝国大学院生であった忠太とが再現したのです。遷都1200年の記念事業には、国際指名コンペによる「JR京都駅」の設計、建設が実施されましたから、遷都記念事業には常に話題になる巨大建築が竣工されるのが京都では慣例化しているようです。次の1300年記念事業(西暦2094年前後)にはどのような建物が出来るのか楽しみですが、そのころには私自身はこの世の人ではないでしょう。ということなので、その1300年記念事業を予想したいと思います。余興です。
- 鴨川沿いに架かる全橋の架け替え、一本ずつ国際招待コンペで設計者を決定する。
- パリの「新凱旋門」に習って京都市北区鷹峯に「新京都タワー」
- 上賀茂神社と下鴨神社の中間に「中鴨神社」設置
- 地上60階建の京都市役所と京都府庁舎のツインタワーを建設
- 幻の寺院「西寺」の復興
- どれもそんな馬鹿なと思うものばかりですが、それを「はんなり」とやって遂げるのが京都の底力なのです。
- ここでふと考えると、西暦3000年の京都の街には、創建から1300年を超えた寺院と遷都記念事業で建てられた大規模建築しか残っていないような気がします。3000年まであと10回の遷都記念事業が開催される予定なので。
竣工 明治28年 所在地 京都市左京区岡崎西天王町97設計 木子清敬、伊東忠太 施工 直営 構造 木造1,2階造
![]()
![]()
<<「旅のしおり」に戻る
次の探訪に進む>>