高島屋大阪店+南海電車なんば駅
御堂筋の南詰にあるこの建物、この大阪のメインストリートの終点に相応しい壮大な建物で、今でもその威厳は薄れていないと思います。
高島屋は1831年、飯田新七が京都烏丸高辻で古着商を開いたことが始めとされ、明治31年に大阪に進出しました。当初は現在の位置ではなく心斎橋でした(現中央区東心斎橋2)。その後、堺筋の長堀橋(現中央区島之内1)に移転し、昭和7年南海電車の難波ターミナルビルが完成したことにより百貨店の業務をそのビルに移しました。
この移転に関しては三越との激しい争奪戦がありましたが、高島屋は元大蔵大臣や大阪市議会議長を使って何とか南海電鉄との賃貸契約へとこぎつけました。高島屋は御堂筋北詰の阪急、南詰の高島屋という大きな存在感を是が非でも欲しかったようです。オープンしてからは日本初の全館冷暖房完備と生活用品を安値の10銭均一で販売する「10銭ストアー」を設け、話題となりました。今でいう100円ショップの走りですね。
当時、百貨店の必須であった食堂は2つ設けました。
そのうちのひとつ7階の「高島屋サロン」ここでは高級感を演出するために、卓と卓のピッチを広く取り、65脚の椅子に対して80人の給仕を付け、椅子に座ると上着を脱がせてくれ、タオル、エプロン、お茶を次々に持ってきます。現在の高級レストランですね。
メニューは毎日変更し、定食の他に凝った一品料理も用意されていました。しかしサービス同様に価格も割高で、30銭が相場のビーフステーキが1円、25銭が相場のカレーライスが50銭でした。このことが庶民の町「なんば」ではかえって仇となり、段々と客は減少していきました。
一方、地下1階には600脚の椅子と230人の給仕を有したグリルを設け、こちらは50銭以下のメニューなので1日平均約1万人の人で賑わいました。
戦時中は幾度の爆撃にあいながらも完全倒壊は免れ、戦争が終わってすぐは、梅田の阪急前に立つと南にはこの高島屋しか見えなかったそうです。大阪の爆撃被害の壮絶さを伝えるエピソードです。
建物本体は写真でも分かるように14スパン連続するアーチ、その両脇にひかえるコリント式オーダーのピラスターがこの建物の顔です。設計者の久野節は元鉄道院の建築課長のためか、ヨーロッパの古い駅舎にも似たデザインだと思います。彼は百貨店店鋪ではなく駅舎(南海なんば駅)としてこの建物のデザインをしたということでしょうか。
旧国鉄の都市駅舎でも門司港駅、東京駅、奈良駅、上野駅など素敵な建物が残っていますが、この建物も駅舎建築だと考えると先に挙げた駅舎を匹敵するすばらしい建物だと思います。有名百貨店が入った巨大な駅舎ということでは百貨店の伊勢丹が入った現在のJR京都駅が同じスタイルでしょう。
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