Surreal Architects
このページでは超現実(SURREAL)な意匠の個性的な建物を紹介したいと思います。名作だという評価と同数で駄作だという評価も下されている、超個性的な建物は、みなさんにはどう写るでしょうか?
まずは建物のデザインと同様に使用目的に驚かされます。既存のゴミ処理施設といえば、実務優先で施設自体に凝った意匠が施されるということは、そこで働く人も、ゴミを出す我々もほとんど考えたこともないことでした。そこには、大阪市の環境やゴミ問題に対する考え。つまり出す側にもこの工場で気軽に見学することによって、ゴミや環境の事について一人でも多く興味、関心をもってもらうために敢えて外見はテーマパークのようにしたとも考えられます。特に小学生や幼稚園児が社会見学にこの施設を訪れると、幼き時分から楽しみながら環境問題について考えれるのではないでしょうか。(もちろん案内する職員の話術も必要と思いますが)
今世界中であらゆる角度で環境問題が問われ、考えられていますが、この施設が大阪市にとっては環境問題に対するひとつの答えだと思います。ひとつ大阪市の計算が狂ったのは、2008年大阪オリンピックをこの周辺に誘致することで立候補していたのが、落選したということではないでしょうか。開催が決定していれば世界中にこの施設を紹介し、大阪市の環境へのアプローチを世界中にアピールすることが出来たはずなのにと思ったことでしょう。しかしこの取り組みはオリンピックがなくても徐々に知られることになるでしょう。事実、この施設は大阪の新名所ユニバーサルスタジオジャパンからも近いこともあって、建築好きも含めて訪れる人が増加の傾向です。
この建物の意匠設計はオーストリア出身の画家兼建築家の故フリーデンスライヒ・フンデルトバッサー氏が参加したものです。氏は本国オーストリアでも環境問題に関心のある建築家として知られ、オーストリアにもこの施設と同じ用途のものであるシュピッテラウ焼却工場(この施設とは姉妹提携)を手掛けています。その実績から大阪市は、氏に意匠設計を発注したのではないでしょうか。
建物本体のデザイン、構造については写真の通りで、様式もモチーフもどう説明して良いのか分かりません。唯一感じ取れるのは塔の先端のあるタマネギ型のオブジェがロシア建築(代表例、赤の広場)に見られるものだなーと思うぐらいです。
フンデルトバッサー氏から与えられた唯一のヒントはこの建物の基本コンセプトは
「技術、エコロジー、芸術の融合」です。
写真を見ていただいて、そのコンセプトを感じ取れるか取れないかを含めて各自違った意見、考えがハッキリと出る建物だと思います。
最後に残念なのはフンデルトバッサー氏はこの建物の完成を見ることなく、2000年の2月に亡くなったということです。
竣工 平成13年(2001)4月 所在地 大阪市此花区北港白津1-1-12号設計 Friedensreich Hundertwasser /大阪市都市整備局、(株)昭和設計 施主 大阪市環境事業局 着工 1997年3月 施工 竹中、大成、錢高特定建設工事共同企業体 管理 大阪市都市整備局 株式会社 昭和設計 構造 地下 鉄筋コンクリート造 地上 鉄筋鉄骨コンクリート造 基礎. 現場打ち鉄骨コンクリート杭 規模 地下2階、地上7階、塔屋2階 敷地面積 33,000平方メートル 建築面積 16,000平方メートル 延床面積 55,800平方メートル



この物件は建築物ではなく、工作物です。「建物探訪」の当サイトで紹介するのは、不適当かと思いましたが、名建築家が携わり、このタワーの建築を巡り京都中、いや日本中がいろんな意味で注目し、後に設計者の晩年を左右した作品なので、敢えて掲載します。
完成から40年が経ったこのタワー。京都の玄関口「JR京都」の前にそびえる京都のシンボルです。こう書くと反論の意見が山のように来そうですが、受け付けません。
しかしながら、私はこのタワーが好きかと問われると、答えはノーではないけど、イエスでもないです。ただ昔は好きではありませんでした。
その好きでもない気持ちがフラットな気持ちなったかというと、ひとつは、新生京都駅がこれに負けないくらいの個性的な構造物となり、そのコントラストで、ようやくこのタワーも景観上意味のあるものになったと思うようになったこと。
もうひとつは、このタワーが隣にある東本願寺の巨大なロウソクなのだと断定した文章に触れ、直感的に私には目からウロコだったこと。
この2つが大きな要因です。
このことが私のこのタワーに対する気持ちを中立にしましたが、依然好きにはなれない決定的な要因はただ一つ「タワーを受けるホテルの建物が余りにも無個性で、タワーとのバランスが悪い」ということです。
この建物を設計した山田守(1894-1966)は逓信省の第三のエースでこの建物を設計したことで、逓信省のエースの作品が京都に集合しました。彼は主に東京での仕事が多く、戦前にはパラボラドームを連続して配置した東京中央電信局:1924年(解体)やお茶の水に架かる「聖橋」1929年(下写真)などのを設計して、モダン建築家として名を欲しいままにしました。
ただ晩年は、業界的には評価が下がっていったようで、ある建築の本では「建築史上微妙な位置にいる建築家」などと書かれてしまうほど、過去の名声が時と共に崩れていったようです。そして最晩年となって、設計したこの京都タワーは計画段階から罵声の嵐でした。
これを機に作家、大仏次郎らが結成した「京都を愛する会」の談話
「京都の風格と調和に及ぼす影響を考えずに利益を目的に作る建物は、京都の品位を汚して、京都を愛する世界の人々に失望を与えるだろう」
何もそこまで言わなくてもと私は思いますが、彼等の言うこの建物の生む利益とは何なのでしょう、そもそもこのタワーは京都の何処からでも見えるシンボルとして計画が始まったものなので、タワー自体は何の利益も生まないのです。
このタワーが京都の真のシンボルになるには、現在の京都駅以外の建物を個性的な建物に建て替え、駅周辺から北に東本願寺までの一画をサイバーシティーに変換しなければならないでしょう。そういう計画は現時点ではないということから、このまま浮いた存在で立ち続け、いずれ撤去される日が来ると考えると少し悲しいですが、建つ場所と時期を間違ったんでしょう。



応仁の乱で西軍を率いた山名宗全がこのエリアに陣を構えたのが所以となり、織物の町として、現在もその名を馳せる西陣地区。そんな昔ながらの街に1980年代初頭、突飛な建物が現れました。
「織陣」西陣織物に掛けた建物名称は「origin」=起源とのダブルイメージで、建物施主は老舗帯問屋です。
この建物の設計者の高松伸は、京都大学大学院を卒業後、京都に自らの事務所を構え、後に京都から世界に羽ばたいた建築家で、現在ではニ代目「武田五一」を継承すべく京都大学の教授を勤めています。この建物は3部作で構成され、それが幅17メートル奥行き57メートルの京都特有の「ウナギの寝床」と呼ばれる、長細い敷地に繋がって建っています。
最初の「織陣1」は装飾がなく、玄関部のみがいびつな形でデザインされています。全体の色彩も茶と黒で、意匠は斬新で奇抜ですが、御影石の重厚さが、京都の町並みにまだ溶け込んでいます。この建物の意匠はズバリ女性=母体という解釈が強く、確かに入口部を中心に開かれたデザインは母体を連想させます。
次の「織陣2」は「織陣3」へのバイパスのようなもので、1とは異なり、金属的な印象が強いです。その金属性は3への序章と言ったほうが良いでしょう。(このページでは「織陣2」の写真が掲載できません。現在では1と3に挟まれていて、良い写真がとれないので、詳しくは「建築マップ京都」を御覧ください。)
そして仕上げの「織陣3」は、これぞ80年代の高松伸と言うべく、メカニカルな意匠で、辺りの景観から全く浮いてしまってます。
同時期、子供達に大人気だった、アニメ「ガンダム」に出てくる戦闘ロボット達によく似たメカニカルさが、この時期の高松の建築を人はいつしか「ガンダム建築」と呼ぶようになっていました。高松にとってはこの「織陣3」が80年代の作品のメインストリームとなり、「キリンプラザ」という代表作に繋がる第一歩となりました。


名前の通り、大阪の海運の歴史を展示した博物館の建物で、このドームの中には江戸時代の海運船「菱垣廻船」を原寸大で復元したものを展示しています。かつては水都と呼ばれたこの地に水上建築が竣工するというのも大阪の歴史の一端を具現化したもので画期的なことだと私は評価しています。ただ私が勝手に危惧するのは、場所が少し不便で、展示内容が万人受けするものではないに加え、建築に興味がない人にとっては一度訪ねれば、もう行かないという人が多数いるのではないかということで、この建物が集客が著しく減少し、用なしになってしまうと、沖縄の海洋博覧会の「海上都市」のように海に浮かぶ粗大ごみになってしまうのではということです。
ただ、この撮影の際に周辺を歩いてみましたが遊歩道などが整備され、博物館に来館した人以外も自由に散策できるようになっているので、集客が見込める付帯施設を設置すれば、この周辺も活気付くと思います。
この建物は最近、英国構造技術者協会より、2002年の特別賞(Structural Special Award)を受賞しました。
かつてこの賞を受賞した建物は、シドニーの「オペラハウス」、パリの「ポンピドーセンター」などで、完成当初は絶賛と批判を一気に受けた超個性的建築ばかりです。このページで紹介するにはうってつけの建物だということを英国が認定してくれました。
竣工 2000年 所在地 大阪市住之江区南港北2-5-20設計 Paul Andreu 施工 大阪市港湾局 ![]()
オーガニックビル大阪
今、大阪市内の南エリアで最も高感度な人たちが集う街「南船場」そんな高感度エリアでランドマーク的存在で建つこのビル。見ての通り真っ赤なボディに均等に植木鉢が設えられ、すべて違う種類の樹木が植えられています。この植物達の管理は行き届いていて、建物との一体感は今現在はキープされています。
6月の梅雨時には空から天然のシャワーが降ってくるので、管理は楽だと思いますが、雨の降らない時期は一つ一つ毎日水をあげているのかと考えると、この建物の意匠とは逆に地味な作業を伴う建物です。
そもそもこの建物に何故植木鉢を設えたのかと考えれば、「インパクトのあるオブジェ」これに尽きるでしょう。設計したイタリア人建築家のガエターノ・ペッシェ氏は「建築と自然との共生」ということを声高に唱ってるということはないようだし、現に建物のファサードに植物の鉢を設置する事が環境に良いとは聞いた事もないので、やはりこれは「管理に手の掛かるオブジェ」なのです。
私は、この建物を撮影の為に初めて訪れたのですが、実際の建物は美しく、正直驚きました。
それだけに、将来仮にこの建物が主無きものになり、朽ち果てた時は従来の建物より哀れに写り、それこそ都会の中の廃虚と化すのでしょう。
竣工 1993年 所在地 大阪市中央区南船場4-7-21基本設計 Gaetano Pesce 実施設計 UDコンサルタンツ ![]()
バロンベール
「バロンルージュ」とは第一次世界大戦時の命知らずの戦闘機乗り。この名を称したプロジェクト名でこの建物の建築が始まりましたが、ルージュ=赤色の建物にするという予定は、ベール=緑色に変更となったので「バロンベール」という名称になりました。
建物本体の説明は不要でしょう。この建物の施主はフィリップ・スタルクが基本デザインをするということで二つ返事で了承したのでしょうか。出来たものを見てビックリ。というところでしょうか。
デザイナー側からこの建物に対する唯一のコメントはこの建物の立地が寺院と墓地が密集していたことからのイメージで
「生と死の狭間に浮遊するエレガンス」です。
なんのことやら。
ただいま入居テナント募集中だそうです。御希望の方は下写真に写る電話番号にお電話の上、お問い合わせください。
竣工 1992年 所在地 大阪市中央区谷町9基本設計 Phillp Stalk 実施設計 野沢誠+GETT 施工 大林組 工費 20億4,000万円
WEEK&SYNTAX
京都市内の北部を東西に走り、ハイセンスなショップが集まる「北山通」この場所が洛北であるということで、景観的には事実上治外法権らしく、個性的な建物が濫立しています。設計者も安藤忠雄、磯崎新、など現代建築のメジャー所が名を列ねていますが、先に紹介した「ガンダム建築」でお馴染みの高松伸が設計した、この「WEEK」と「SYNTAX」の持つ個性は、ずば抜けています。
京都に長らく仕事の場を持って、京都に土着した彼だからこそ、景観に保守的な京都に、敢えてこのような未来建築を建ててみたかったのでしょう。高松の大師匠である武田の建物も、大正期や昭和初期にしては先を行き過ぎたものもありましたが、今では完全に土着しているように私には映ります。
彼の作品もあと50年もすれば、土着するかもしれませんが、「WEEK」は店子不足、「SYNTAX」に至っては、現在閉鎖されており、今後建物が残るのかどうか分かりません。
WEEK
竣工 1986年 所在地 京都市北区上賀茂桜井町設計 高松伸、高松伸建築設計事務所 延床面積 713平方メートル
SYNTAX
竣工 1990年 所在地 京都市左京区下鴨南芝町43-3設計 高松伸/高松伸建築設計事務所 施工 田中太工務店 構造 鉄筋鉄骨コンクリート造4階、地下1階建 敷地面積 440.43平方メートル 延床面積 851.60平方メートル ![]()