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中之島周辺の建物

 

 

                                     

 

  住友銀行本店(現 三井住友銀行本店営業部)

 

 

この建物は、現在も淀屋橋を南に渡って西に入った所に堂々と建っています。

そもそも住友銀行は江戸時代の両替商から始まり、明治28年住友銀行として開業しました、本店の位置は最初は中之島にあり、その後今橋に移り、明治48年この地に移転してからは現在まで1ミリも動いていません。

この当時の銀行建築といえばその存在感を示さんばかりに、高価な建築資材をふんだんに使用し、とても贅沢な建物となっていました。現在でも日本各地に当時建てられた住友銀行の支店や他の都市銀行の支店に、正面玄関にオーダー列柱を組んだものが幾つも残っています。


日本最大級の財閥、住友銀行の総本山であるこの本店の建物はその集大成であり、全体の建物の素材はクリーム色の竜山石、土佐堀川沿いの玄関周りはイタリア産のトラバーチンを使用し、鋼材と設備機器はすべてアメリカから輸入されたものでした。

第3期まで工期を分け足掛け9年もかけて完成しました。現在のスピード建築時代では考えられない施工日数でしょう。

この建物の内部、本店営業部は何本もの大理石貼りのコリンシャンオーダー列柱が支配し、宮殿のような造りになっています。本来は7階建ての予定でしたが、先の関東大震災の影響で5階建てに変更され、耐震対策を重視する建物構造設計になっています。この時期、関東大震災が切っ掛けとなって、改めて耐震ということに施主や建築家は取り組まなくてはならなかったというのが伝わってきます。

おそらく昨今の銀行店鋪にはまずあり得ないような内装なので、この銀行と取り引きのある方、もしくは口座を開こうと考えてる方は、この本店がいいかもしれません。一度覗いてみる価値は十分にあります。

ちなみに私は建物内部を見学したいが為にこの本店で口座を作りました。店内に濫立するオーダーを見て度胆抜かされたのは言うまでもないのですが、商業施設だけに撮影ができず、このページに掲載できないのは残念です。

 


竣工 第一期・大正15年(1926)[北側部]、第二期・昭和5年(1930)[南側部] 

所在地 大阪市東区(現 中央区)北浜4-6-5

設計 住友工作部(長谷部鋭吉+竹腰健造) 施工 大林組 

構造  鉄筋鉄骨コンクリート造5階(後に6階部増築)、地1階

 ※DOCOMOMO 選定No 006

 


 

 

 

 

 


大阪府立中之島図書館

 

現在も同施設として使用されています。

ところが開館にはあらゆる紆余曲折が伴いました。

これ以前の大阪の図書館は、いくつかの小学校に分散してあった図書館施設を統合。「大阪書籍館」として大阪市北区常安町にありましたが、利用する人が少なく、大阪府も書籍を増やし利用者増加に努めようとした折に淀川の大洪水あり、コレラ騒動がありで、なかなか府の予算が図書館にまわせませんでした。

そしてついには明治21年に閉館となり、その後しばらく大阪には図書館がありませんでした。

明治33年に図書館建設の問題が府議会であがりましたが、5万円しか予算計上されず、建設どころの金額でありませんでした。

そこで登場したのが住友家主、住友吉左衛門友純

建設費15万円、図書購入費5万円を寄付することを府に申し出ました。

この寄付金によって明治33年に建築が始まり、同37年に完成し、16年ぶりに大阪に図書館が開館しました。

完成当初は、普通閲覧席2銭、特別閲覧席5銭の閲覧料をとっていましたが、それでも連日大盛況だったらしく、中には図書館から定価の8割で大量に入場券を買い、回数券として定価で売って2割の利鞘を得る者まで現われました。現在の金券ショップのはしりでしょう。

大正6年には吉左衛門が30万円追加寄付をし、蔵書の増冊、建物の増築がなされ、現在の形になリました。

彼は今の貨幣レートに直すと数十億円の私財を文化事業の為に寄付したことになります。(彼は後の大正8年にも、大阪市立美術館の用地として天王寺茶臼山の本邸を寄付しました)

次にあげる大阪市中央公会堂もひとりの相場師による寄付によって建設されたことを考えると、この時代の富豪は太っ腹なことをするものだと感心します。(太っ腹という言葉の意味の解釈を超えてるものだと私は思います。)

もっとも、富豪による公共事業への寄付は当時欧米では一般的で、この二人も海外渡航でそのことを目の当たりにして影響されたとのことですが、それでもなかなかできることではないですね。

建物本体はニューヨーク図書館の影響を受けたアメリカンボザールスタイルで、中央頭上にドームを有し玄関ポーチに4本のオーダー列柱とその上に鎮座する巨大なペディメントが印象的なものとなっています。

 


竣工
 明治37年(1904) 大正11年(1922)[両翼部増築] 

所在地 大阪市北区中之島1-2-10

設計 住友建築部(野口孫市、日高胖、久保田小三郎)

構造 煉瓦、石 銅板葺 鉄骨造2階、地下1階

 


  

 

 




大阪市中央公会堂

 




1916(大正5)年10月、一人の瀕死の相場師が収容された病院の窓辺から、自らの寄付で建設中であるこの建物を見ながら息を引き取りました。彼の名は岩本栄之助。

彼は弱き筋の売り方から懇願されたことで、第一次大戦後の暴騰相場を安定させるために売り方に回りましたが、結果は決済不能な多大な損害を生むこととなり、将来へのあらゆる不安の為から、ピストルの引き金を自ら引くことを選びました。

明治43年、彼は渡米の際、現地の富豪達が公共事業に私財を提供していることを目の当たりにして自分も大阪に新しい大公会堂を造るべく100万円(現在の貨幣価値で約80億円)を寄付することを市に申し出ました。

これに対し大阪市は建設にあたり設計者を当時の一流建築家15名によるコンペの開催を決定。

コンペの1等案であった当時29才の早稲田大学教授、岡田信一郎(1883-1932)の原案を日銀大阪支店南海浜寺公園駅東京駅の設計した辰野金吾(1854-1919)片岡安(1876-1946)に委託する形で建設がはじまりました。

岡田氏はこのコンペ入選がきっかけで、次々と大規模な建築の設計の依頼が舞い込んだ様で(ほとんどが東京ですが)こういうコンペに入選するというのは今も昔もクリエイターにとっては大きなチャンスのようです。

岩本の死後、急ピッチで工事は進められ、大正7年11月にようやく完成しました。

ネオルネッサンス様式の建物の内部には3000人収容のホール、大小の集会場があり、ホールでは政治討論会やオペラの公演等が行われ一躍大阪市の主要文化施設となりました。

この公会堂も10年程前に解体の危機に陥りましたが、市民団体の働きかけによる寄付で修復工事が行われ、2002年11月から公開となります。今回の改修では耐震性の確保、天井壁画などの建築時への修復、エレベーター増設、スロープの設置と各エリアでのバリアフリーも重要なコンセプトとして進められました。加えて正面玄関頂上には、戦時中、鉄材供出のため撤去されていた、商業の神「メルキュール」と科学、工業の神「ミネルバ」の像が竣工当時のまま復刻されたことが、個人的には注目している点です。この像が頂上に鎮座するだけで、建物全体にアクセントがつきました。


写真
の像「メルキュール」「ミネルバ」



この改修で私個人が感心するのは、建物の主要箇所、重要箇所には忠実な修復を、普段は見えない部分である基礎部分には、最新の耐震構造の構造設計を、バリアフリー対策として変えるべき部分には大胆な改修をと現代のテクノロジーと歴史的な部分の調和が旨くとれたところです。


下写真、左は改装前の公会堂(昭和50年代)右は改装直後の公会堂(平成14年11月)

 


竣工 
大正7年(1918)、平成14年(2002)改修 所在地 大阪市北区中之島1-1-27

基本設計 岡田信一郎(コンペ1等案)

実施設計 辰野、片岡建築事務所  施工 清水組

改修設計 大阪市住宅局営繕部、板倉・平田・青山・新日設設計共同企業体

構造 煉瓦及び鉄筋コンクリート造3階、地1階

建築面積 2,164.17平方メートル

第45回建築業協会賞特別賞受賞 (2004年)

 


 

 

 

 

 

   
 
 
  ビルディング旧館

 

 

 この建物は現在も田蓑橋南詰めに堂々とあります。

大阪建物株式会社(通称ダイビル)は在阪の有力企業、大阪商船、宇治川電力、日本電力の共同出資で大正12年に設立された会社で貸しビル業の走りの会社です。このビルはその主要業務のフラッグシップビルディングとして建てられました。完成当時は若干の不況だったにも関わらず、入居を希望する会社が申し込みに殺到したそうです。その理由の一つが、このビルの自慢であった、ビル全体の「耐火・耐震構造」です。このビルの完成2年前に首都圏で発生した「関東大震災」は、地震による火事の恐ろしさを改めて世間に知らしめたということが、関西の会社にも浸透し、耐火、耐震というのが、オフィスを構える物件の最重要条件になったということです。

(下写真、2枚とも1階エレベータホール) 


 


外壁は当時はやりのスクラッチタイル、窓周りは竜山石、軒部はテラコッタを使用し、全体的なスタイルはネオロマネスク様式にまとめられています。正面玄関以外とその周りの軒先以外は特別な装飾の施しはなくそのことがこの正面玄関を引き立てる効果となっていると思います。アーチ頂上の女神像彫刻は大国貞蔵作です。(下写真)



先に挙げた耐震構造を強化する為、当時の構造のスペシャリスト早稲田大学教授の内藤多仲(1886〜1970)が構造設計を担当しました。この人が構造設計をしたから「耐震対策がなされたビル」というブランドがついたと思われます。内藤が構造設計をこの建物以前に担当した、「歌舞伎座」「日本興業銀行本店(渡辺節設計)」は関東大震災でも、ほとんど被害を受けませんでした。もちろんその事実は建築業界で話題になったことは言うまでもありません。彼の唱えた構造理論は現代の耐震理論の原点になっているそうです。戦後は放送用の高層鉄塔を多く担当し、「塔博士」と呼ばれてました。その時期の最高傑作は「東京タワー」です。


建物本体の設計は、
渡辺節と彼の弟子で、右腕の所員であった村野藤吾を中心に設計が進められました。

当時、渡辺節建築事務所はオフィスビルの設計依頼が多く「早く、安く、機能的」の三拍子を旗印に関西を中心に名を馳せていました。もともと鉄道省で大規模で機能的な鉄道関係の施設(2代目京都駅、梅小路蒸気機関車区など)を設計していた渡辺節だけに個人事務所を開設した時、クライアントのメインターゲットを個人(邸宅)ではなく法人(オフィスビル)に絞っていこうと決めていたのでしょう。大規模建築は手間がかかる分、報酬(事務所収入)も大きいという事に加えて、先に挙げた三拍子は企業が一番喜ぶスローガンだからです。

このビルの3年前に建てられた機能的なオフィスビル大阪商船神戸支店ビルは現在でも一部店鋪、一部オフィスビルとして使われています。このダイビル株式会社の設立に大阪商船が一枚噛んでいることを考えてみると、渡辺節が商船神戸支店の設計で築いた相互の信頼関係からこのダイビルの設計も任されたと考えられます。

このような古いビルで、現在仕事する人からよく出る不満の声は、現代人にはあらゆる面で使い勝手が悪いということです。たしかに日本人の体型や生活様式がこの時代からはすっかり変わったのは事実ですが、そうなったら潰して新しいのを建てて、それによって経済を廻していこうというのは、良くも悪くも戦後日本の経済の象徴だと思います。その全てを否定する気はないですが、少しの補修を施せばまだまだ使えるもの迄、解体してしまうというのは余りにも安直な発想だと思います。

日本も解体の危機にある近代建築をただ潰すだけでなく、どのようにすれば有効的にリフォーム、リユース、リデュースが出来るかということを考える時期にきていると思います。

 

最後にこの建物の昭和初期の雰囲気が伝わる文章の一説を紹介します。


大阪ビルの巨大な四角の箱に、一つ二つ、ぼんやりと窓明りがともる。黒い大きな絶壁の中に、象嵌した瑪瑙(めのう)のような光りである。気をつけてみると、この建物の西を向けている一角丈けが、珠に煤煙に汚れている。河を通る小蒸気船の煙りが、西風によって、この一角に多く吹きつけられるのであろう」

(昭和7年刊行、北尾鐐之助著「近代大阪」より)

 


ちなみにこのビルが完成した大正14年は、大阪での初めてのラジオ放送が始まりました。

下写真左の後ろに写る高層ビルはCesar Pelli氏設計の「中之島三井ビル」です。同氏はNHK大阪放送局の新社屋、このビルのすぐそばに完成した国立国際美術館新館の設計者でもあります。

 


竣工 
1925年(大正14年)所在地 大阪市北区中之島3-6-5

設計 渡辺節建築事務所/渡辺節、村野藤吾 構造設計 内藤多仲

施工 大林組 構造 鉄筋コンクリート造8階、地階

 


  

 




(番外)
一力桜滋養部

明治の20年代に日本初のビアホールが中之島公園にあらわれました。

明治28年夏、中之島の翠柳館(緑柳館)を借りて、大阪麦酒会社がビール会を3日間開催しました。

これが大阪におけるビアホールの始まりだといわれています。

それからは毎年開催されるようになり、明治30年以降のビール会は現在の市庁舎の辺りで執り行われていました。

現在も市役所、図書館、中央公会堂を中心とした辺りは市民の散歩道、憩いの場として整備され利用されていることを考えると当時から人が集い、憩う場として利用されていたことがうかがえます。

当時の料金は

大コップ15銭、中コップ10銭、小コップ5銭

でした。

今の物価に単純計算してみると中コップを居酒屋の生ビール(中)平均450円と考えて約4500倍になっています。当時の価格が出てくる書物や文学作品などがあれば、4500前後の数字を掛けてみれば今の相場になると思いますが、それは余りにも単純計算かもしれませんね。

写真は明治28年ごろのものです。現在の市役所付近だと考えられます。

 


 


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