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米寿を過ぎた煉瓦洋館

 

 



  柴島浄水場送水ポンプ場 (現 水道記念館)




私は、大阪市内から車で吹田方面に抜ける時、よく長柄橋を使うのですが、橋も渡り切ろうとする寸前にこの洒落た煉瓦の建物が目にはいってきます。それがこの建物旧柴島浄水場送水ポンプ場
.現在の水道記念館です。


この建物の本体は赤レンガを積んだネオルネッサンス様式のもので、意匠設計の
宗兵蔵の建物作品では貴重な現存作品です。なによりこの建物の印象的なのは正面玄関部の煉瓦の積み方でしょう。旭日旗を思わせるファサード意匠は当時の公共の建物としては施主の大阪市も満足だったでしょう。

このポンプ場が完成してから70年間、雨風、戦火にも揉まれながら粛々と水を送る仕事をして来ましたが、中に設置しているポンプの耐用年数が限界に近付きこの施設をどうしようかと囁かれた時に大阪市長であった故西尾正也氏は「建物は絶対壊さないように」と発言し、トップダウンで保存が決まりました。

何でも潰して新しいものを建てたがる昨今の首長に比べなかなかの英断だ。彼は歴史に名を残す名市長だ。と言いたいところでしたが、彼は保存を決めた後、どう利用するかをまったく考えて無かったようで、そのまま何のアクションを起こさぬまま市長の座をいつの間にか降りていました。そしてその後10年間、この建物は空き家状態でした。

そして平成7年、大阪市水道通水100周年事業の一環としてこの建物が水道記念館として生まれ変わり一般公開されるようになりました。この写真を撮ったついでに水道記念館(入館無料)を見学しましたが、印象としては、小学校の社会見学などのイベントに多用できる教育施設だというものでした。それなら100周年事業の一環と言うより保存が決まった時すぐにそうすれば良かったのにとも思いました。

その後1999年登録文化財に認定されました。

 

 

 
竣工 大正3年(1914)3月 所在地 大阪市東淀川区柴島1-3-1 

設計 大阪市水道拡張課/宗兵蔵 施工 直営  

構造 煉瓦造平屋建 建築面積 1,758平方メートル

 

 

 
    





同志社大学




明治8年、新島譲によって開校された「同志社英学校」後の同志社大学は、新島がアメリカ留学で学んだキリスト教の教えを広めるのと共に、日本で初の総合私立大学になる為に、彼がアメリカで築いた人脈をフル活用して立派な校舎群を建築しました。本来は「デザイナーズスクール」のページで紹介するのが適当だと考えましたが、デザイナー学校というより煉瓦校舎の学校という印象が勝るのでこちらのページで紹介する事にしました。



彰栄館



この建物は同志社で最初に建設された煉瓦建築です。

設計者のグリーンはアメリカからやってきた宣教師で、たまたま彼の祖父が煉瓦の仕事に携わっていたという事から、彼の今まで見てきたキリスト教建築を見様見真似で設計したそうです。その図面を建物に興し、立派な建物にした施工者の大工、尾滝菊太郎の功績は大きく、外装こそ煉瓦造りのアメリカンゴシックに仕上がっていますが、内部、特に構造に関して木材をうまく使った、大工的工法が用いられています。

この建物の上部に掛かる大時計は明治20年アメリカ製のアンティーク時計です。


竣工 明治17年 所在地 京都市上京区今出川通烏丸東入ル

設計 D.C.Green 施工 尾滝菊太郎

構造 煉瓦造2階建 建築面積 549平方メートル




ハリス理化学館




この建物は創始者「新島襄」の同志社を日本初の私立総合大学にするという野望を果たす第一歩となったものです。

もとは英学校だった同志社に理学部を新設する為にアメリカの実業家ハリス氏からの援助を受けてこの建物は完成しました。

新島のハリス館への思いは完成が近付くにつれ増していきましたが、その思いはわずかに届かず、完成の二ヶ月前に彼は他界してしまいました。その思いを知っていた彼の周りの人達はこの建物の建築木材を使用して彼の柩を造り、使用後は階段の手摺としてその木材、いや新島の魂の一部を建物内に残しました。(下写真)



竣工
 明治23年 

設計 A.N.Hansell 施工 小島佐兵衛

構造 煉瓦造2階建 建築面積 1,292平方メートル





有終館




この建物は、同大学の図書館として建設されたもので「書籍館」と呼ばれていましたが、竣工から43年経った昭和3年に突然出火、その日は昭和天皇がこの建物の南側に位置する京都御所に御滞在中ということもあり、その不審火は同志社側の陰謀かという風評が流れ、当時の総長、理事、監事が引責辞任するという結果となりました。この事件(事故?)が事実上同志社に対する「国賊」扱いの始まりとなって、同大学はしばらく日陰の道を歩く事となりました。


幸い、建物本体は焼け残りましたが、同志社側は
現の悪いこの建物を解体してしまう予定にしていましたが、当時、隣接する同志社女子大学の建築に関わっていた京都の建築界の重鎮、武田五一が保存を同大学に勧告し、彼が自ら指揮を執り、残された外壁の内側に鉄筋コンクリートの内壁を新たに造るという「外壁保存」という方法で補修工事がなされ、現在に至っています。

この工法は現在「ファサード保存」がなされた歴史的建物で頻繁に使用されていますが、それらと根本的に違うのは、この有終館は事故に巻き込まれたのを復旧する為にこの方法が使用されているという事(治療としてのファサード保存)です。

一方「ファサード保存」は建物の持ち主をしてはすべて解体したいが、外野(地域住民、保存運動団体)が保存、保存とうるさいので、一部だけ「しようがなく」保存するためにこの方法が使用されているという事です。(建物所有者の体裁を守る為のファサード保存)


竣工
 明治20年 

設計 D.C.Green 施工 不祥

構造 煉瓦造2階建 建築面積 1,076平方メートル





礼拝堂




同志社大学の建物の最後は、同校の顔である礼拝堂に飾ってもらいます。


この礼拝堂は正確にはニ代目で、初代は明治14年に完成した木造の礼拝堂だったのですが、手狭になった為、この礼拝堂が建設されるという運びになりました。というよりある程度、予定通りの改築だったように思えます。それは、同大学は本格的ミッションスクールとして開校したのですが、仏教の総本山といえる京都では、キリスト教はまだまだ異教とみなされていただけに、開校当時は様々な宗派から相当の嫌がらせがあったようです。そんな中新島らの地道な努力が徐々に実り、次第に学校も軌道に乗り、生徒も集まってきたところで、この建物をつくったのではと考えられます。そういう意味でも、この礼拝堂は、同志社にとってモニュメンタルな建物といえます。

建物本体は、アメリカンゴシックスタイルの鉄板葺きのシンプルなものです。何より印象的なのが建物全体のシルエットを決定付けている切妻屋根です。何よりその角度が最高です。これより鈍角だと、だらしない感じがするし、鋭角だと細くて安っぽい印象になってしまいます。個人的な事ですが、私の通っていた大学もミッション系で、私が入学した年にチャペルが新設されたのですが、何せ現代の手抜き工法で造られていたので、素人が見ても大変ちゃちな印象のものでした。この同志社のチャペルを見ると、わが校は、何てプライドの低い学校なのだと恥ずかしくなってしまいました。


竣工 明治19年

設計 D.C.Green 施工 三上吉兵衛

構造 煉瓦造り1階建





御所水道ポンプ室:現、九条山浄水場ポンプ室




明治時代に入って京都がお江戸に都を譲った後、意気消沈した京都を活性化する為に執り行われた、
琵琶湖疎水事業。

この事業は水力発電で京都市内中心部を活性化し、その電力を使用して、日本で初の市電を走らせたり、街灯にしようしたりと大きな成果を残しました。

そして前を向いて歩み始めた旧首都京都。といってもかつての皇室のお住まい(京都御所)を無視する訳にはいきませんでした。琵琶湖から流れてくる大量の水を御所の防火用の為に確保する為にこの建物を設計し、建設しました。

建物本体は京都国立博物館も設計した宮内庁お抱え建築家の片山東熊です。この疎水事業は田辺朔郎という若いエンジニアが取り仕切り、疎水関連施設のほとんどは彼の設計なのですが、この施設は宮内庁の管轄なので、彼は指一つ触れることも出来ませんでした。

ポンプを収めるだけの倉庫物件にも品格と重厚さがたっぷりと入っています。


竣工 明治45年 所在地 京都市山科区日ノ岡朝田町

設計 片山東熊、山本直三郎 施工 直営

構造 煉瓦造平屋建






第一銀行神戸支店:現、地下鉄海岸線みなと元町駅







正直この物件を紹介しようかどうか迷いましたが、この美しい煉瓦造の建物を無視できなかったので、このページの番外編として掲載します。何故はじめにこれだけ言い訳がましい事を書くかというと、この物件はすでに建物ではないからです。正確に言うと、「ファサード保存がなされた地下鉄の新設駅の出入り口の壁」です。

1995年1月に神戸を襲った「阪神淡路大震災」いくつもの歴史的建造物に多大な被害を与え、多くの被災物件は解体されていきました。(解体例、第一銀行神戸支店、大興ビル、中国銀行神戸支店など)この建物も解体されても仕方がないほどの被害を受けましたが、歴史的に見ても辰野建築の創成期を物語る貴重な資料である事や、長らく元町の街の顔になっていた事を重く見た「街作り協議会」が建物所有者の大林組と何度も折衝を重ね、新設される「神戸市営地下鉄臨海線」の駅舎として、建物の一部を使用する事で折り合いがつきました。

私はこのサイトで再三「ファサード保存」について文句を綴ってきましたが、この物件に関しては、先の「同志社大学有終館」と同様に事故に巻き込まれ、壊れた建物の治療の為の「ファサード保存」であるということで、私が忌み嫌う「大阪証券取引所」に見られるような、自ら潰したものを世間への体裁の為に一部を保存するという「ファサード保存」とは全く違うのです。中途半端に残すぐらいなら、別の業態やその建物に興味を示している業者なり、個人に売却するか、全く潰さずに内部や老朽箇所を補修した上で、継続して建物を利用して欲しい思います。それが出来ないのなら一思いに解体して欲しいと私は思います。


建物本体は先にも挙げたように、辰野金吾の設計で、明治41年竣工です。煉瓦と御影石の絶妙な組み合わせによる「辰野式」と呼ばれる美しいファサード。建築年から考えて、後に設計される「東京駅」「日本銀行京都支店」などの意匠のひな形になった建物だといってもいいでしょう。


旧第一銀行神戸支店:現 神戸市営地下鉄海岸線みなと元町駅 (外壁のみ)

竣工  明治41(1908)年 所在地  神戸市中央区栄町4−4

設計  辰野金吾 施工  直営 

構造  石・煉瓦造り2階建


 


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