ラジオ放送事始め
大正14年6月1日午前8時5分、東京から遅れること3ヶ月、大阪で最初のラジオ放送の電波が北浜の三越の屋上から発信されました。その発信を行った「社団法人大阪放送局」は、後に各自独立した放送局を持つようになる朝日新聞、毎日新聞、それに証券会社など23団体が出資、加盟する、大阪地区で唯一の放送局として国から認可を受けた民営の放送局でした。
開局後しばらくのあいだは、奇数日は毎日新聞、偶数日は朝日新聞が番組提供をしていました。6月1日の発信日は奇数日なので毎日新聞仕切りで発信されました。
ここで本放送開始日、6月1日の番組プログラムを記します。
現在にくらべれば大変シンプルな番組構成ですが、株式や米穀の市場状況の放送に時間を多く取っているのには、出資者に相場関係者が多数いたことにあります。そして開局から7ヶ月後、三越との賃貸契約が切れるのを機に、放送局社屋は大阪市天王寺区上本町9丁目に移転されることとなりました。その頃、国の役所(当時の逓信省)はこの放送局を名古屋、東京の放送局と統合し、国営の日本放送協会を設立することを決定し、朝日新聞や毎日新聞などが参加していたこの「社団法人大阪放送局」は一旦解散となり、社団法人日本放送協会(NHK)が発足されました。
そして、その関西支部としてJOBK(NHK大阪放送局)が誕生しました。しばらくは上本町9丁目の社屋を使用していましたが、手狭になったこともあり、昭和11年、大阪市東区(現中央区)馬場町に移転となりました。
この建物はネオゴシックスタイルで全体的には装飾もほとんどなくオーソドックスな建物となっていますが、中央にアンテナを従えた塔があり、「ここが放送局です」といわんばかりの存在感を示しています。建物の設計はコンペによって決まり、当時大阪を代表する建築家であった、渡辺節(1884-1967)もコンペに参加しましたが、選出されたのは東京の渡辺仁(1887-1973)でした。
お江戸の渡辺さんはコンペに強く、この後の「東京国立博物館」のコンペにも勝利しました。
アンテナを従えた正面玄関の母屋の奥に、ラジオのメインスタジオがあるのですが、建物前の道路を市電が走っており、その騒音対策として、この正面玄関から左右に翼のように建物を広げそこに事務の各セクションを配置し、その建物が電車とラジオスタジオの間に入ることによって騒音問題を解決しました。
その後、この社屋は2001年11月3日、西隣に完成したアメリカの建築家シーザーペリ設計の新社屋(下写真)に移るまで約65年間あらゆるニュース、ドラマ等を発信する拠点でした。この新庁舎の住所は大阪市中央区大手前になるのですが、旧庁舎は大阪市中央区馬場町(ばんばちょう)の角地だったので市民からは大阪放送局のコールネームJOBKを
「(J)じゃぱん、(O)おおさか、(B)ばんばちょう、(K)かど」と親しみと洒落心を込めて呼ばれていましたが、コールネームだけ残りました。
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この旧社屋本体は新社屋運用後、あっという間に解体され、いまでは跡形もありません。この跡地には、道路を挟んで南にある難波宮跡の拡張に使用され、将来的には拡張された難波宮跡と大阪城をユネスコの世界遺産に登録するそうです。下写真は新しく社屋が出来ていると聞いて解体の恐れがあるのではと思い ,2000年に撮影したものです。その予想が見事に当たって大変残念です。
大阪放送会館
竣工 昭和11年(1936)11月21日 所在地 大阪市東区(現 中央区)馬場町 設計 渡辺仁/渡辺仁建築事務所 施工 大林組 構造 鉄筋鉄骨コンクリート6階、地階 敷地面積 3300平方メートル
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