前のページでは、大阪の代表的な美しい橋梁を紹介しましたが、大正から昭和初期にかけて、大阪ではヨーロッパの歴史的な都市に習って、「橋梁は美しい町の景観には必須物」という都市計画のもと、様々な美しい意匠の橋達が架けられてきました。この別館では美しい橋でありながら、後世に建てられた無機質な建築物によって見事に美しい景観が壊された橋達を紹介したいと思います。
高麗橋
大阪の人にとって「高麗橋」といえば、阪神高速の入口というイメージの強い名称ですが、実際に橋も存在します。この橋の歴史は古く、1604年には立派な擬宝珠を持つ橋として同じ場所に架かっていました。
現在では少し寂しいエリアとなっていますが、江戸時代には、この橋のたもとに三越百貨店の前身の「三井呉服店」や三井両替店などが営業を始め、その他の商店などがひしめく賑やかな場所で、この橋は多くの人にとって重要な橋でした。
その後何度かの架け替えが行われ、明治3年にはイギリスから輸入した鉄材を使用した鉄橋が架けられ、現在のものは昭和4年に架けられました。この架け替えも第一次都市計画事業の一環のもので、15万円を要しました。
このほかにも150余りの橋が架け替えられましたが、擬宝珠が付けられたのはこの橋ただ一本だそうです。これはこの橋が歴史的にも名橋である証拠です。
竣工 昭和4年 所在地 大阪市中央区高麗橋1〜高麗橋詰町設計 大阪市土木部、池田勸蔵 施工 不祥 橋種 RCアーチ 管理 大阪市 橋長 63.2m 幅員 11.0m 径間数 3 最大径間 25.4m ![]()
平野橋
参考にした資料をそのまま引用すると「三径間連続鋼鈑桁をセルフアンカーしたバランスドアーチで補強したもので、一言でいえば逆ランガ−桁と呼べる」だそうで、アーチに使用される鉄材が細いものでよかったので、意匠的には大変スマートに見えるというのが特徴的なものとなります。当時世界のどの橋梁にも使用されていなかった技術らしく、ドイツの橋梁専門誌でも大きく紹介されたそうです。
正直、私には連続鋼逆ランガ−桁といわれてもチンプンカンプンですが。この橋が日本発の新技術を使用しているというのは誇らしい事だと思います。この橋梁の設計に建築家である武田五一が参加していることが新技術への足掛かりになったのではないかと思います。これこそ建築家と橋梁屋の真のコラボレーションではないでしょうか。
竣工 昭和10年 所在地 大阪市中央区平野町1〜豊後町設計 西本組、武田五一(意匠) 施工 西本組 橋種 連続鋼逆ランガ−桁 橋長 57.0m 幅員 12.7m 径間数 3 最大径間 28.0m 管理 大阪市 ![]()
大手橋
「行こか、戻ろか、思案橋」かつての遊里の入口に架かっていた橋を人々は思案橋と呼び、先の句は遊廓に遊ぶ人の心理を描いたものです。
現在でも全国各地に残っているこの名称の橋。
この大手橋もかつては、そう呼ばれていたようですが、この周辺には遊廓もないので、既存の思案橋とは少し由来が違うようです。一説には豊臣秀吉が奉行にこの橋の名称をつけるように命じたところ彼が大変思案に苦しんだというものがあります。
その後、このあたりが大手町と改名したのを切っ掛けにして、大正時代に現在の「大手橋」となりました。
現在架かる橋は第一次都市化計画事業で架けられ、総工費は9万6000円でした。
竣工 大正15年 所在地 大阪市中央区淡路町1〜中央区豊後町設計 大阪市土木部 施工 不祥 橋種 鉄筋コンクリートアーチ 橋長 49.5m 幅員 9.4m 径数 3 最大径間 22.0m 管理 大阪市 ![]()
本町橋
この橋の歴史は古く、江戸時代には12本しかなかった幕府の管理する「公儀橋」で船場と大阪城を直結する、重要な橋でした。時は流れ〜
明治時代に入り大阪市内に市電の敷設が開始され、この本町通も市電の重要通りと位置付けられ、道路拡張と、この橋の鉄橋化が決定され、大正3年、市電第三期線の事業によって、現在の橋となりました。橋本体は橋のアーチを支える柱の部分にニ本の石柱を設置した意匠が施され、この上部は小さなバルコニーとなっています。この意匠は旧大阪府庁舎の表玄関を参考にしたとされています。
橋が架けられてから70年余りたった時点で4年に渡る大規模な補修工事が行われ、昭和57年に完了しました。
竣工 大正2年 昭和57年(補修改修)所在地 大阪市中央区本町1〜中央区内本町橋詰町 設計 大阪市土木部 施工 直営 橋種 鋼2ヒンジアーチ 橋長 46.5m 幅員 21.6m 径数 3 最大径間 15.5m 管理 大阪市 ![]()
この四本の橋を見ていただいてお気付きでしょう、それぞれの橋は個性があって大変美しいのですが「阪神高速の高架が邪魔!」
先人達が大阪の近代都市計画の目玉として大阪市内に美しい橋を架けまくったのですが、彼等の後輩の都市計画担当者がそれを見事に破壊してくれました。これらの橋に携わった先人達は大阪の橋についてこう述べています。
「橋は都市風景の大切な要素であろう。縦の方向に延びた建築群に対して横一文字の構造はよく対照的な構成を形造る。といっても橋は建築ほどは目立たない。派手な高音部に対する地味な低音部とでもいうか蔭の役廻りをしているようである。」
元良勲(大阪工業大学教授)
「都市の橋梁は特にまたその美観にしばしば積極的に働きかけるという点を忘れてはならず、近代的都市美への案内役でなければならない」
堀威夫(元大阪市助役)
昨今の都市開発担当者にこの両人の含蓄のある談話を煎じて飲んでいただきたい。
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