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このページのタイトルとなっているT51型2号蒸気機関車は日本は存在しません。

これは私の空想上の優等機関車で、この機関車は主に京都で学校からオフィスビル、橋梁や寺院までも設計し、京都大学で教授を勤め、後進の指導にもあたり、京阪神で行われた設計コンペでは常に審査員を勤めた建築界の万能機関車です。その仕事の多彩さは貨車から客車、優等列車まで牽引したD51とよく似ています。

そこからタイトルネームを頂きました。

彼の名は「武田五一」(1872〜1938)

彼が生涯走り続けた京都での走破記録を見てみたいと思います。

     

 



藤井有燐館




この建物は藤井紡績の創業者であった藤井善助の中国美術品のコレクションを展示する個人美術館です。場所は岡崎の琵琶湖疎水沿いあり、近くには平安神宮、京都市立美術館、京都府立図書館などの歴史的建造物があります。

建物本体は装飾をグラフィック的に配置したアシンメトリー(左右非対称)な建物です。世間では左右対称の建物が美しいと称されていますが、この建物は装飾の配置のバランスが見事なので大変美しく建物のシルエットが出ていると思います。

私は「そごう大阪店」にも同じ感想を持ちます。

建物の屋上部分に乗る八角堂(下写真)は中国の紫禁城が一部解体される時に移築保存された物です。この美術館の一番高価なコレクションだといえます。この八角堂が屋上部に乗った事で、この建物の美しさと個性が仕上げられたという感じがします。

しかし個人がコレクションしたものを当時の一流建築家に依頼してそれらを保管、公開する建物を建ててしまうとは、この藤井善助という人物は大変数寄者であったのであろうなということが、この建物を見ているとひしひしと感じます。


竣工 
大正15年 所在地 京都市左京区岡崎円勝寺町

設計 武田五一 施工 大林組

構造 鉄筋コンクリート造3階建 建築面積 1,070平方メートル


 





京都市医師会館現,春陽堂




美しきアシメントリー建築をもう一件。

二条城の北に位置するこの建物、医師会館だけあって、白衣のように目に眩しい白亜の建物です。

現在では医師会ではなく、飲食店運営会社がこの建物を使用しています。

建物本体は正面玄関から右には同じ窓の配列を連続させていますが、正面玄関左側の踊り場と思われる場所に、丸窓が2つ設えられています。この丸窓の配置がこの建物の印象を引き締めるのと同時に、非対称の違和感をやわらげる効果を発揮しています。

建物が正立方体だけに、どこから見ても美しく見えるシンメトリーのほうが無難であるのに、敢えて非対称にしたのであろうというのが見え見えなところに私は五一建築の真骨頂を見るような気がします。


竣工 大正13年 所在地 京都市上京区丸太町通智恵光院北西角

設計 武田五一 施工 清水組

構造 鉄筋コンクリート造3階建






同志社女子大学栄光館




この建物も先の藤井有燐館と同じく「八角型」がポイントとなる建物です。

先の建物は展示物として屋上に設置したものが建物のアクセントになっていると書きましたが。

この建物は意匠の中心として八角形があります。

五一先生が意匠に八角形を導入することに御執心だったかどうかは分かりませんが、昔から日本では末広がりの「8」は縁起がいいとされているので、そんなことも少し頭によぎったのかもしれません。

この八角形の塔屋の正体は「時計の機械室」でした。しかし戦中に主役の時計等が金属供出で撤去され、現在ではステンドガラスをはめ込んで「瞑想室」として利用されています。

その内部には入れないという事が残念でなりません。

建物本体は一見煉瓦造りのように見えますが、下の詳細で記したように鉄筋コンクリート造りです。そのコンクリートの上から煉瓦のタイルを張って仕上げたそうで、理由は、隣にある建物は煉瓦造りなので、それに合わせてということです。

それだけではなく隣接する同志社大学は煉瓦造りの建物が多数配置されているので、流れからそうなったと考えた方が自然です。同志社グループが築いた一つの街のグランドデザイン(同志社大学=煉瓦造り)が成されたよい例といえます。


竣工 昭和7年 所在地 京都市上京区今出川通寺町西入ル

設計 武田五一 施工 大倉土木

構造 鉄筋コンクリート造2階建






京都電燈本社屋 現、関西電力京都支店




原広司設計の巨大な京都駅の中央口を出て左側にすぐ目に入ってくるベージュのマッシブな建物。

それがこの建物「京都電燈本社屋」です。

大きな窓にそれを囲むように張り出された柱と梁。建物自体はそう大きなものではないのですが。この大きな窓達が見るものに圧倒的な迫力を与えます。

それと共に印象的なのは中央入口から二階部に鎮座する黒御影石。この時代、商業ビルに黒を使うというのはタブー視されていたのですが、それを敢えて使う所に武田の美しい建物を建てようとする姿勢が伺えたりします。

この建物の少し前に大阪で完成した、安井武雄設計の「大阪ガスビルヂング」も低層部に黒御影を使用していますが、基本的なスタイルは両者共通だと思います。ガス、電気というライフラインの会社の社屋が類似しているもの偶然とはいえ興味深い事です。

今では周りの高層ビルに囲まれて小さく見えますが、建築当初から戦後しばらくは京都市内で一番の高層ビルでした。それだけの高層、大型建築なので、耐震構造を強化する為に構造顧問に「ミスター耐震」の早稲田大学教授の内藤多仲を迎えました。

この建物を一目見て「ベルギーワッフルみたい」と言った人がいたと何処かの建物紹介サイトで見たのですが、この建物を一言で表したうまい表現に感心しました。ただ最近少し色褪せてきたので、あまり美味しそうに見えないのが残念です。


竣工 昭和11年 所在地 京都市下京区塩小路通烏丸西入ル東塩小路町579

設計 武田五一 ・内藤多仲(構造顧問) 施工 銭高組

構造 鉄骨鉄筋コンクリート造8階建 建築面積 10,600平方メートル

DOCOMOMO 選定No 025


 





京都大学工学部建築学教室本館





京都大学には歴史的な建築が幾つか現在でも残っていますが、五一先生が自ら教鞭を取った、この大学の建築学部の建物は、五一先生自ら設計したとともに、京大初の鉄筋コンクリート造りの建物でした。

このことで容易に想像できるのは、他学部の建物がその時代の最先端の技術で建てられてしまうと建築学科の面子はなくなる。という下世話な想像と最先端の技術のものを帝国大学の建築学科の専任教授の威信をかけて挑み、その結果から他学部にもこの技術をフィードバックさせ、京都帝国大学の建物全体を最先端にする。という野心的な想像が浮かびますが、個人的には後者であってほしいし、そうだと思い込んでいます。

五一先生はこの建物が落成し、真新しい階段(下写真)を登り、教室に入って開口一番こう言ったのでしょう。



「おはよう、今日からこの校舎で君達と建築を学んでいく訳だが、私から建築について学びたいのなら、この建物をよく観察し、体と頭で感じなさい。そう私はこの建物に私の建築哲学のすべてを投げ込んだ。そのボールを君達に受け取ってほしい。それじゃ出席を取る・・・・・・」

あくまでもこれは私の想像の範囲での授業風景ですが、自分達が学んでいる場所が目の前にいる尊敬する偉大な教授の作品であるということは、羨ましい限りです。


竣工 大正11年 所在地 京都市左京区吉田本町

設計 武田五一 施工 直営

構造 鉄筋コンクリート造2階建


 




京都市役所本館




昭和に入ると、武田は京都の建築業界の顔になっていました。その事を具現化するように、京都の顔である、京都市役所の設計が入りました。ただクライアントはお堅い役所なだけに、これまでの自由な発想といかなかったようで、ネオルネッサンス様式の全体意匠でまとめてきました。あらゆる業態のクライアントに合わせて存分に設計できる力は、もともと持っている設計基礎体力があるからこそ為せる技で、その体力をまざまざと見せつけられた気がします。

現在でもこの建物は市役所として使用されています。全体的な建物シルエットが似ていた「旧大阪市役所」は、大阪市が金も無いのに、老朽化を表向きの理由に20年以上前に建て替えてしまいましたが、さすがは「始末の心意気」を尊重する京都です。これからも大事に使い続けていって欲しいものです。

この建物の中にある「京都市議会本会議場」も建築当初からしようされています。時折、京都テレビではここで行われる「京都市議会」の本会議をテレビ中継しているのですが、議員の話よりもつい建物ばかり見てしまう私がいます。


建物の場所が市内中心部から少し離れているので、日曜日などは建物正面の車寄せエリアには、乳母車に幼い子を乗せた母親が休息している姿や、近所の少年少女がボール遊びなどをしているのがよく見られるようです。すぐ南の寺町通や新京極では観光客や地元の若者でごったがえしているのに、このエリアは、ほんとのどかです。




竣工  昭和2年  所在地  京都市中京区御池通河原町西入ル

設計 武田五一・中野進一 施工 松村組・松井組・山虎組

構 造 鉄筋コンクリート造り4階建て







毎日会館毎日新聞社京都支局:現 1928ビル




この建物は現在京都の若者文化の発信地である三条通と御幸通が交わる交差点にランドマークとして建っています。

そもそも御幸通が注目されるようになったのは、この建物を京都を中心に活躍する建築家、若林広幸氏が買い取り、再生させ、カフェやアートスペースとしての機能を持つビルに改修したことから、順次、御幸通を南に向って新進の服飾デザイナーが作品を発表、販売する店が次々とオープンし、京都及び京阪神の時代の動きに敏感な人達が集うエリアとなりました。

かつてはビルの名前の通り、「毎日新聞」の京都支局が入る、どちらかといえば堅い施主、店子でしたが、その堅さを覆すかのようにこの建物は武田の遊び心が発揮された建物でした。

最上部にある星形の飾窓は毎日新聞の社章であり、それを意匠として組み込みました。加えてニ階部のバルコニーも星を半分にした形で迫り出しています。

現在では色が明るい色に塗り替えられているので、ポップな建物に見えますが、これ以前のグレー色の建物を想像して改めて全体意匠を見ても大変ポップな建物だと思います。

若林氏は南海空港特急「ラピート」(下写真、左、中央)のデザインや「京漬物西利」(下写真、右)の店鋪を見ても、メカニカルなデザインが特徴的で、かなり異端な建築家として認識されていますが、その彼がこのビルを惚れ込んで買い取ったというのは、20世紀前半の京都で偉大な異端建築家であった武田五一への尊敬の念でり、20世紀から21世紀への京都の建築文化のバトンタッチではないかと私は大袈裟ながら思っています。


そして今日もこの建物に吸い込まれるように若者が入っていきます。そしてこの建物を設計した人物の事を知った時、彼等はここで紹介した武田建築に足を向けていくのでしょう。美しくて、人を引き寄せる力のある芸術的な建物というのはそういうものなのでしょう。


竣工 1928年、1999年(改修) 所在地 京都市中京区三条河原町東入ル

設計 武田五一、若林広幸(改修) 施工 大林組 

構造 鉄筋コンクリート造3階建


 





 
高野山大伽藍根本大塔



このサイトは京阪神の近代の建物だけを掲載するのが原則なのですが、2004年夏 武田五一が設計顧問で参加した
和歌山県での建物が、世界遺産に認定されたのを記念して、このページの番外として紹介したいと思います。

おそらく、この物件がこのサイトで紹介する唯一の世界遺産の寺院建築になると思います。嬉しがるついでに世界遺産のロゴも作ってしまいました。

建物本体はとにかく巨大で、青空に栄える朱色が印象的です。

個人的には寺院建築の中で多宝塔は最も好きなので、多宝塔を配した寺院には自然に足が向いていきます。この高野山に伺った時も、まずこの建物に向いました。

ちなみに私の多宝塔のナンバーワンは滋賀県の石山寺のものです。(西国三十三霊場第十三番札所)


竣工 
昭和12年、平成8年(外装塗替え) 所在地 和歌山県伊都郡高野町高野山

設計 武田五一(顧問)天沼俊一 施工 大林組

構造 鉄筋コンクリート造 建物規模 高さ約50メートル 四方約30メートル


 


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