天六GO! STOP!事件  

 


 


この事件は当時の世相 がよく出たもので、今ではまず起こり得ないものと思われます。

 

事件の顛末は以下の通りです。


昭和8年6月17日午前11時半頃、
休暇外出で新世界へ遊びに出掛る途中の陸軍第四師団第8連隊中村一等兵(写真左)が大阪市北区天神橋6丁目の交差点を信号無視をして横断しようとしたことを、曽根崎署の戸田巡査(写真右)に咎められたことに中村一等兵は軍人は警官の命令には従わない」と返したため、殴り合いになり、互いに負傷した。

知らせを聞いた憲兵隊は「軍人には敬意を払うように」と曽根崎署に抗議、これに曽根崎署も反論したことがこの事件のはじまりとなりました。

事件は新聞等の報道もあり人々の関心の的となりました。

6月22日、第四師団の井関大佐は「この事件は一兵士VS一巡査の事件ではなく、皇軍にかかわる重大問題である」ということを示した声明を発表。これに対して、粟屋府警察部長も「陳謝の必要なし」と言明。

6月24日、寺内第四師団長と縣(あがた)府知事の会見も決裂。

6月28日、井関参謀長は「軍人の体は上御一人に捧げている、従って外出中でも軍服を着ていれば、軍の統帥権内にある。地方人のただなかで面目を潰された時は、昔の武士なら相手を切り捨て、切腹するほどのものだ」と言明。

粟屋府警察部長も「軍隊行動でない個人としての軍人と、一般民衆の扱いに変わりはない」と応戦。

7月3日、荒木陸相現地視察の後、第四師団を激励。

7月17日、陸軍が、中村一等兵の名で戸田巡査を告訴。

8月4日、早朝からおよそ800人の見物人の見守る中、双方の当事者を呼び大阪地検が現場検証。

最終的には事態を憂慮した天皇の特命により白根兵庫県知事が調停に乗り出しました。

そして事件発生から約5ヶ月後の11月19日、急転解決をみましたが、その解決内容は公表されていません。しかし事実上は警察が屈服する形の和解だというのが定説です。

事件後、憲兵指令部と内務省で、現役軍人に対する行政措置は警察ではなく憲兵が行うことを記した覚え書きがかわされました。

 

日本の歴史上の結果としては、この事件が軍部に主導権を与える切っ掛けのひとつとなり、昭和20年8月15日まで軍部(特に陸軍)が暴走することになりました。

 

 


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