唐突ですが、下の写真は解体現場です。現場は大阪府吹田市万博公園。建造物の名は「エキスポタワー」
このタワーは、1970年「大阪万国博覧会」のランドマークとして、岡本太郎作の「太陽の塔」と共にこの吹田の地に姿を表わしました。高さ123メートル、その高さに工事を担当した鳶職の精鋭たちは、命をかけて挑んだものでした。赤と白のカラーリングは東京タワーと類似するものですが、下層部と高層部に設けられた、小惑星をイメージさせるような多面体の展望台が印象的であり、鳶職の男たちにはこの設置が最も危険で厄介なものでした。設計者の菊竹清訓(1928ー)は、「自邸スカイハウス」や「出雲大社庁」「京都信用金庫の各店舗」などの独自の世界を持った建物を設計した建築家で、最近では「張り子の虎」にそっくりな「東京江戸博物館」(下写真)を設計し、話題になりました。
彼の建築家キャリアの中では、このエキスポタワーは前期の作品になります。この「大阪万博」を切っ掛けにして、後の「沖縄海洋博覧会」「つくば科学万博」「ならシルクロード博覧会」「愛知万博」で建築設計に携わり「ミスター博覧会」の顔を持つようになりました。このタワーに関しては、後のインタビューの中で「このタワーは高さ123メートルですが、本当は300メートルを超す高さにする予定だった」と語っていました。それはやり過ぎです。「建築家の先生は机の上で好きなように図面を引いてるけど、実際その高さで仕事するのは、わしらやで!」とこのタワー建築までを追ったドキュメント番組で、鳶職の方がインタビューで答えているシーンを見ているだけに、やっぱり300メートルはやり過ぎです。
最近、このタワーの撤去の話が私の知るところになり、急いで撮影しに行きましたが、少し遅かったようです。救いは建物本体はなんとか残っていたということぐらいでしょうか。
こういう歴史の1ページを刻んだものが撤去されるのは、胸が痛いのですが、撤去よりもいままでほとんどほったらかしにされていたのほうが心苦しいです。
昭和45年の万博終了後、会場跡の施設はすぐに解体されたものもありますが、保存されたものは補修され、現在も運用されています。
そのひとつ「エキスポランド」は広大な敷地をうまく利用しジェットコースターが4種類もある関西屈指の遊園地に成長し、ユニバーサルスタジオジャパンが完成した後も安定した集客を保っています。
永久保存が確定した「太陽の塔」(下写真)が設置されている”自然文化園”は、緑化メンテナンスも行き届き、広い敷地に数多く植えられた木々は季節ごとにその表情を変え、一年を通して地元吹田、豊中の人たち、観光客の憩いの場となっています。![]()
しかしこのエキスポタワーだけは目に見える補修はほとんど行われず、塗装もどんどん剥がれ落ち、1990年以降は一般公開もされず、ただ朽ち果てていくだけでした。「人類の進歩と調和」がテーマだった大阪万博のランドマークがこのような哀れな最後を迎えるのは、人類の将来をも暗示しているのでしょうか。太陽の塔を製作した岡本太郎氏は開催当時からこのスローガンに対して苦言を呈していました、「人類の進歩なんて、何千年も前のラスコーの壁画を見ても、その時代から全く進歩してないし、今も各地で紛争が起こっているのに調和を叫んでいるのは空しいし滑稽だ。」おっしゃる通りです。
そして、2003年春。この巨大な未来タワーは静かにこの地を去っていきます。 エキスポタワー
竣工 昭和45年(1970) 所在地 大阪府吹田市千里万博公園 設計 菊竹清訓建築事務所 施工 大成建設、大林組、鹿島建設、清水建設、竹中工務店JV、熟練鳶職人軍団 敷地面積 25,474平方メートル 建築面積 176平方メートル 延床面積 709平方メートル 高さ 127m 構造 鋼管構造 工費 7億4500万円
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