街の顔としての教会

 

 

 



   日本基督教大阪教会

 




この教会は西区北部のランドマークとして大正時代からこの地に鎮座しています。

タイトルマークにもあるように登録文化財にも認定されていて、大阪では近代建築ツアーに行くなら先ず外せない場所となっています。加えてこの教会の立つ場所は、近くに住友銀行本店、大阪倶楽部、大阪ビルヂング旧館などの近代建築の名作があります。

もちろん、大切に保存するだけではなく、教会としての仕事もしっかりとなされており、ミサ、信者たちの結婚式なども行われており、信者ではない人たちも内部公開の意味も込めて、ミサには誰でも参加できるそうです。

建物本体は、大丸のページでも触れたW.M.ヴォーリス(1880〜1964)の作品です。彼はもともとキリスト教の宣教師として来日したので、教会建築は専門分野でした。他にも全国各地に教会作品をいくつも残しています。

煉瓦造りのロマネスク様式のこの建物、教会建築としてはそう新しいものとは感じませんが、長くその地に佇み、信者にとって、家のような役割を果たすのが、教会の使命の一つだとすると、時代が流れても全く古臭さを感じさせず堂々と建っている事は、この建物はその働きは充分に果たしていると思います。周りの風景はすっかりと変わってしまったですが激動の昭和を同じ地で見守って来たこの建物は、信者にとっても街の人たちにとっても、今でも街の顔であると思います。

 


竣工 
大正11年(1922) 所在地 大阪市西区江戸堀1-2-3

設計 William Merrell Vories/W.ヴォーリス建築事務所 施工 岡本工務店

構造 会館煉瓦造、(一部鉄骨)2階建 塔屋煉瓦、鉄筋鉄骨造

建築面積 674平方メートル

 


  

 

  

光の教会

 

 




こちらは一変してモダンな教会です。建築の好きな人にとっては写真を見て、誰の作品かすぐ分かると思います。そう安藤忠雄の作品です。1990年代から急激に彼の巨大な作品が関西を中心に増えてきています。

この作品はそんな大ブレイク以前の80年代後期に建てられました。もともと「住吉の長家」でデビューを果たした安藤は、その後、芦屋や東京世田谷での個人の邸宅、神戸の北野や京都北山での飲食ビルの設計などを手掛け、どちらかと言えば路地や小径を歩いているとパッとあらわれる、こじんまりとした個性的な建物というのが多く、この作品も住宅地の中に突如あらわれるものです。

コンクリートの打ち放しの建物本体に十字架を形取ったスリットを入れ、太陽光を十字架型に教会内部に取り込むと言う発想は、大変話題になりました。内部の写真は撮影出来ませんでしたが、この建物を紹介した本で見ると、思った通り幻想的な雰囲気を演出するものとなっています。

この建物だけではありませんが、1970年代から安藤氏の台頭によって、コンクリートの打ちっぱなし建築が各地にたくさん建てられるようになりました。私の家の周りの住宅地にも何軒かそのスタイルを持った個人邸宅があるのですが、この教会とほぼ同時期の物とすれば築15年ぐらいでしょう、それらの何軒か見ているとそれまでの風雨でコンクリート部の一部が黒く汚れています。この汚れを建物の味として見るのか、単に汚れていると見るのかは、各自それぞれだと思いますが、仮にこの先この黒ずみ面積が進みオーナーが「こんなに見難いものになるとは建てた当時は予想も出来なかった」なんてことを考え出したら、どう補修、改善をすれば良いのでしょうか、私なら庭に木を植え、壁中ツタだらけにします。安藤氏もかつてこう言ってます。「完成した建物の周りに木を植えるスペースがあったら出来るだけ植樹しておく、年数が経ったら、大木になった木々が建物を隠してくれる。」

 


竣工
 平成元年(1989) 所在地 大阪府茨木市春日丘4-3-50

設計 安藤忠雄/安藤忠雄建築研究所 施工 竜己建設 

 構造 鉄筋鉄骨コンクリート平家造 延床面積 133平方メートル

 

 


 

 





日本聖公会川口基督教会




日本国内で外国人居留地があったと街といえば、横浜。神戸、長崎が有名ですが、大阪市西区川口にもかつて外国人居留地がありました。

この川口に外国人居留地があったという事実はあまり知られていないので、少し御説明を。

川口には明治2年から外国人が居留するようになりました。内訳は宗教家、教育関係者、一発日本で当てようとする商売人などです。しかし商売人はすぐに気付きました、この地が商売が不向きな事に、その理由は貿易の拠点である安治川があまりに浅すぎて、当時の物流の要であった船舶が入って来れないのと、それに伴う船舶事故が多かったことです。それにより物流用の船舶はすべて神戸に向い、彼等も神戸へと向っていきました。それが明治5年ぐらいの話です。

それからこの地には教育者と宗教者だけが残り、外国人居留地が廃止される明治32年まで暮らしていました。

彼等がこの地で残した財産は、キリスト教系の教育施設で、「桃山学院」「プール学院」「大阪女学院」「大阪信愛女学院」などが代表的なもので、これらは場所こそ変わりましたが、現在でもキリスト系の学校として運営されています。特に女学校がこの地で設立された事は、後に日本の女子達が学ぶ場として大きな役割を果たしました。

まさにこの教会は、そういう経緯を歩んだ街の顔として存在しました。この辺りに住んでいた外国人達はミサの日に限らず、生活の一部としてこの教会を利用していたのでしょう。それはあたかも日本各地のお寺、神社が子供の遊び場であり、祭礼の時は町中の人たちが集まる場所であったという事でしょう。

今この川口近辺を散策しても、その面影はほとんど残っていませんが、この教会だけが唯一の証人となりました。

しかしこの建物も1995年の「阪神大震災」の被害は免れず、建物の一部が倒壊しました。その後、内部に鉄材による補強工事が施され、元の意匠の建物に復されました。


竣工
 会館 大正4年 会堂 大正9年 所在地 大阪市西区川口1-3-8

設計 Willam Wilson 施工 岡本工務店

構造 煉瓦造2階建 建築面積 349平方メートル


 





聖アグネス教会




京都御所の目の前、京都府庁舎、京都府馨本部のほぼ隣にあるこの教会、そもそもは隣接する平安女学院の開校と同時に同校の礼拝堂として建てられた建物です。

建物本体は上に擧げた川口教会と良く似た意匠をもつ典型的なこの時代の教会建築です。建物を設計したJ.M .ガーディナーという人は教会建築の専門家でしたが、この同じ京都市内に銀行のページでも触れた村井吉兵衛の邸宅も設計しています。

建物本体はゴシック様式で、特徴的なのは塔部にある三層の窓で、下の階から長窓、バラ窓、トレーサリー窓と表情をつけたものとなっています。塔部が烏丸通に沿った形で配置されているので、初めて訪れた人をまっ先にこの塔が出迎えてくれます。

このあたりに住む人が客を招待し、自家を電話で案内する時には「烏丸通り沿いにレンガ造りの塔のある教会があるから、その角を・・・・・」と案内すれば、相手もまず迷う事はないでしょう。そういう意味でもこの建物はこのエリアの街の顔です。

ただこのエリアは「京都御所」「京都府庁舎旧館」「平安女学院」「大丸ヴィラ」とランドマークになる歴史的建物が濫立していますが。


竣工
 明治26年 所在地 京都市上京区下立売通烏丸西入ル

設計 James.Mcdonald.Gardinar 施工 不祥

構造 煉瓦造り1階建 建築面積 426平方メートル


 





神戸ユニオン教会:現、カフェフロインドリーフ




新神戸駅から、南に下り異人館などのある北野町の東側にこの教会はあります。

ただ現在ではこの建物は教会としての街の顔ではなく、ベーカリーカフェとして、生田町という限られた規模ではなく「神戸の顔」となりました。

建物本体は関西での教会設計の当時の大御所ヴォーリスの作品です。先に挙げた大阪教会とはうって変わって、ゴシックスタイルの建物ですが、典型的なゴシック様式ではない抑えた感じの意匠が、ゴシックの特徴であるゴツゴツした印象を薄めています。加えて改装時に塗り改められたであろう明るいベージュが美しさを倍増させます。神戸という今も昔もスマートなイメージの街にしっくりくる作品だと思います。

神戸には大阪、京都と違い、三ノ宮、元町だけでもたくさんの教会があります。

この街にかつては外国人居留地があり、現在も彼らの子孫を含めた多数の外国人が住んでいるというのが大きい要因で、その点は横浜、長崎と類似した都市です。

この建物は幸い「阪神、淡路大震災」での倒壊は免れたようですが、神戸では幾つもの教会が倒壊しました。

震災から10年の節目を迎えた2005年、かつて街の顔であった幾つかの教会が、その街の復興のシンボルという新しい表情を加え、復元、再建されました。


竣工
 昭和4年 所在地 神戸市中央区生田町4-6-15

設計 William Merrell Vories/ヴォーリス建築事務所

構造 鉄筋コンクリート造り2階建


 


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