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京都でエース登板





現在も日本各地で旧官公庁の素敵な建物が見られますが、この京都にも現在の総務省、旧逓信省(郵政省)管轄の建物が幾つも残っています。それらの建物の設計を担当したのがこの省きってのエース達です。ひとりは、後にドイツ語で日本建築の深さを説いた著作をドイツで発表し、海外で高い評価を受け、もう一人は、その早すぎた死と実作の少なさが多くの伝説を残す結果となりました。





京都中央電話局 : 現 新風館




四条烏丸通りと烏丸御池通の中間にあるこの建物。

周りには旧財閥系の銀行がひしめくこのエリアで堂々と建つ、電話局の建物。現在では建物の一部を残し、「新風館」という若者を中心に集客する各種テナントが入った、商業施設として第二の人生を歩んでいます。(下写真、新風館内部)

この改修を請け負ったのは、パリのポンピドーセンターをレンゾ・ピアノと共同で設計したリチャード・ロジャースの日本現地法人「Richard Rogers partnership JAPAN」 で、1階から3階まで続くむき出しの階段の設置などはポンピドーセンターに見られる印象的なものとなっています。



この建物の設計を担当した
吉田鉄郎は、大阪の中央郵便局、東京の中央郵便局を設計した人物です。この建物はそれらの前に担当したもので、ここでの実績が買われて二大都市の中央郵便局の設計を担当する事になったと思われます。つまりこの建物の評価が逓信省のエースへの切符だったのです。

この建物もそうですが、彼の作品に装飾が施される事はほとんどありません。この建物も意匠らしいものといえば、アーチ形の窓の連続ぐらいで、細かい装飾よりも全体的なシルエット、建物そのものの重厚感というのが彼の建築の真骨頂であり、この建物はそれを顕著に具現化したもの思えます。

吉田の後に逓信省の営繕部を引き継いだ後輩たちは、各地の逓信省管轄(電々公社→NTT)の社屋を設計しますが、この建物がひな形になったいるようで、茶色系の色を主体としたアースカラーを好んで外壁に使用し、ほとんど装飾のない、低層で横に長い建物が各地に次々に登場しました。どれもよく似たスタイルですが各自個性を持った、今でも全然色褪せない、格好のいい建物です。

近畿では確認しているだけで、姫路、芦屋、祇園です。準備が整えばこのサイトで新たにページを作成したいと思います。


竣工
 大正15年、昭和6年。平成12年(改修) 所在地 京都市中京区烏丸通姉小路南東角

既設設計 逓信省営繕課:吉田鉄郎  施工 清水組

改修設計 Richard Rogers partnership JAPAN &NTT Facilities 改修施工 清水建設

構造 鉄筋コンクリート造3階建


  





京都中央電話局上京分局 : 現 カーニバルタイム




先の京都中央電話局より二年前に竣工した建物です。


丸太町通の鴨川の袖に建つこの建物は、その名のとおり京都中央電話局の分局でした。分局なのに大変豪華な建物だなと思うのは私だけではないと思います。推測ですが、これには逓信省側の「旧首都の京都をそう簡単に地方都市には出来ぬ、
万が一ということも考えられるし・・・・」という思惑があったのではないでしょうか。文中の万が一とは、天皇家が近い将来、京都に帰っておられるのではということです。この建物はかつての天皇家のお住まいであった、「京都御所」から近いということもあり、その万が一が現実になり、京都に遷都された時に逓信省の建物だけがしょぼいという事は、国の機関である役所としては許されなかったでしょうから。

建物本体は柱と梁をむき出しにした真壁造りで、当時の国際的な建築の主流をいくもので、この時期の建物の意匠によく見られる手法です。私の印象として、下の写真にもありますが、建物の前に植る柳の木の葉が垂れ下がるのと、建物の垂直性が景観としていいハーモニーを奏でていると思います。

この建物の特徴的な部分は屋根で、この屋根はドイツの民家に見られる意匠だそうで、この垂直的な建物にゆるい曲線の屋根がいい具合に乗せられ、これが建物全体のアクセントにもなりスパイスにもなっています。ちなみに本来のドイツ式民家ではスレート葺きなのですが、ここでは、日本瓦が乗せられています。



この建物の設計、施工があと10数年遅れていたら、このスタイルの屋根ではなく、日本的な反り屋根が無理にでも乗っけられ、かなりの意匠変更が余儀なくされたはずです。「帝冠様式」と呼ばれる「軍人会館」や「東京国立博物館」のように。


竣工
 大正12年、昭和52年(補強)平成元年(改修) 

所在地 京都市上京区中筋通丸太町下ル

設計 逓信省営繕課:吉田鉄郎 改修設計 奥井設計工房、NTT関西建築総合センター

施工 清水組 改修施工 清水建設、タジマ建設 

構造 鉄筋コンクリート造3階建


 





京都中央電話局西陣分局 : 現 西陣 IT路地




吉田鉄郎(1894-1956)が大正から昭和初期の役人建築家集団「チーム逓信省」を背負って立った第ニ世代のエースだとしたら、この建物の設計者、岩元禄(1893-1922)はチーム創成期に彗星のごとく現れ、疾風のように去っていった「伝説のエース」です。彼を例えるなら、奇しくも同じ京都が生んだ日本野球界の伝説のエース「沢村英治(背番号14、彼の所属した東京読売巨人軍では永久欠番)」です。

下写真左のレリーフは踊り子をモチーフにしたものです。正面玄関に48枚、南側建物の庇の下に72枚、計120枚をこれでもかと言わんばかりに張り付けています。

中央写真は、裸婦を立体的に彫刻したもので、正面に三体設置されています。この抽象的な裸体像は、当時の若い女子には刺激的であったようで、この前を通る女学生達は、俯いていたといいます。もちろん早足で。

右写真はその裸体像とは対照的なライオン像で、この建物の守神であったと思われます。



作者の岩元禄はこの建物の他に二つの作品( 東京中央電話局青山分局(1922)箱根観光旅館(1922))を残し、結核でこの世を去りました。まだ29才の若さでした。


彼は建築設計を精神的遊技と称し、自らが持つ美意識のすべてを図面にぶつけていきました。このように自らの美学を追求し、それを作品に表現する事はこの当時では容易い事ではなく、この建物が実作としては日本で初めてといわれています。つまり、この建物は事務所の機能を持った、純粋な芸術作品なのです。

時が経ち、彼が残した三作品のうち処女作であるこの建物だけが残りました。

現在のオーナーであるNTTも最近になってようやくこの建物の重要性に気付いたようで、大切に保存していくと発表しています。



この建物と同時期にオランダ・ユトレヒトに建てられた 「シュローダー邸(1924年)」は天才家具職人であったヘリット・トーマス・リートフェルトの建築作品ですが、この建物のコンセプトは「人が暮らせる家具」つまり彼は住宅を設計したのではなく、家とは人が住むことが出来る巨大な家具であるという家具職人ならではの発想でした。

この作品の「仕事場として使用可能な芸術作品」というコンセプトはリートフェルトの考えに相通ずるものがあると思います。

この項の最後に岩元の逓信省の後輩であり京都タワーの設計者でもある「逓信省第三世代のエース」山田守(1894-1966)が記した吉田鉄郎と岩元禄の夭折についての文章を掲載します。



岩元さんの後に続いた吉田鉄郎さんも、逓信建築の設計者としてはまことに立派な人であった。

吉田さんは静かな人、一方の岩元さんは動的な人。岩元さんの芸術はディオニユソス的であり、吉田さんはややアポロン的であるというように感ぜられる。

当時われわれは、近代建築に最も特徴をもつ合目的性を旗印とするセセッション建築を支持し、これに因んで分離派建築を興じ、盛んに若い建築家として気勢を上げていたのである。

岩元さんは「そういう理知的な、打算的な建築はダメだ、俺の建築はガイスト・スピレーン(精神遊戯)だ、ガイスト・スピレーンでなくちゃいかん」といい、そして「建築の用途がその芸術の中になんとか納まればいいんだ」ということをいっておられた。

私の親友である堀口捨己君と、青山墓地に近い岩元さんの下宿を訪ねた時には、もう夜も1時頃になったので帰ろうというのを押しとどめられた。火もないところに夏の洋服を着て、犬を抱いた岩元さんは「君たちは外套を着ていたまえ、これから大いに夜を徹して芸術を論じようではないか」という。そして青山墓地のあたりを夜中に散歩して、とうとう夜を明かしたこともあった。

兎に角まじめで、熱情的であった。その人の作品を今でもみると一点一角おろしかにしない、また世間の、いわゆる建築の流れというようなものにたやすく合流しない、独自の強い高い理念を持って終始しておった。岩元さんは大正12年の大震災を待たずして、たしか大正11年にこの世を去られた。

全くこの人が長生きをして、現在われわれと一緒にいたならば、大正、昭和への日本の建築はもっと姿が変わって、もう少し芸術的なものになっておったろうと思われるのである。日本の芸術家に実朝とか啄木とかいう、若くして世を去った人もあるが、われわれはその作品を見て巨匠の風を備えた人であったと、常に敬服し、その短命を惜しんでいる。岩元さんはわれわれ逓信建築の設計人に与えた最も精神的な、芸術的な力を持った一人であると思う。

山田守 (逓信史話上・昭和36年12月、逓信外史刊行会編・電気通信協会刊)


竣工
 大正10年、昭和60年(保存工事) 所在地 京都市上京区油小路通中立売下ル

設計 逓信省営繕課:岩元禄 施工 安藤組

構造 鉄筋コンクリート、木造造3階建

延床面積 1,178平方メートル 

DOCOMOMO 選定No 001


 


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