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銀行建築

 

 

 

 


明治時代

 

 

  
三菱銀行神戸支店(現 ファミリアホール)

 




この建物は神戸で最初の
本格的洋風建築です。

現在では三宮に人の流れを完全に奪われたJR神戸駅北側周辺ですが、かつては超特急「燕 」(東京-神戸)の終着駅、日本各地で走っていた「観光遊覧バス」の神戸版の出発もこの駅からで、神戸駅の北側すぐの所に財閥系大銀行の三菱銀行が店鋪(この建物)を構えていたこと、現在も残る神戸中央郵便局が向いにあることを考えると、かつてこの辺りが「みなと神戸」中心地であった繁栄の一端がうかがえます。

この建物の設計は三菱財閥のお抱え設計技師の曽禰達蔵(1853-1937)です。次に挙げる辰野金吾と同じ時代に活躍した建築家なのですが、全国の主要都市にいくつも作品が残る辰野と違い、彼の作品はあまり残っていません。ということでこの作品は貴重なものです。

現在は、服飾メーカーのファミリアが所有しています。この建物の内部の一部をオルゴール博物館とホールして使用しています。

建物本体は、外壁の石積みを目地を見せ(ルスティカ積み)、2階部のドーム型の窓は両側にオーダーを配置しています。戦前までは屋根に三角ペディメントが連なっていたのですが、空襲による被害がひどく撤去されました。建物の一部を失っても迫力と威厳が無くならない所にこの建物の底力を感じます。

 


竣工
 明治33年(1900) 所在地 神戸市中央区相生町1-1

設計 曽禰達蔵  施工 三菱財閥 

構造 石、レンガ造3階

 


 

 



 
日本銀行大阪支店旧館




この建物は東京にある、日本銀行本店旧館とほぼ同じ時期に同じ設計者によって建てられたものです。設計者は辰野金吾とその仲間です。

辰野の建築家になってからの野望は、東京駅、日本銀行、国会議事堂を設計するというものでした。その野望の結果は国会議事堂以外は達成されました。これは彼の建築家としての実力とまだまだ設計建築家というものが日本にいなかったという時代背景が叶えたといえるでしょう。

建物本体はベルギー国立銀行の意匠をモデルにしたものとされ、ネオルネッサンス様式になります。

花崗岩を使用し、波形鉄板の防火床、鉄骨を使用したこの建物のシンボル頂上ドームと、当時の建築最新の技術を使って作られた物となりました。「この建物は日本のフラッグシップバンク、日本銀行です。」と、このあたりを歩く人たちにこれでもかと迫ってくる迫力は今でも健在だと思います。

最近ではあまりいいニュースではこの日銀は注目されませんが、テレビ局も日銀の旧館の方がテレビ的に良いと考えるのか、堅いニュースだというメタファーとしてなのか、現在では機能していない旧館の映像を日銀関連のニュースのバックにインサートしています。

大阪支店は淀屋橋のたもとにあり、全体の景色のシルエットが東京の本店よりも美しいものだと思います。ただ昨今ではこの建物の背後に高層ビルが次々に建設されているのでその魅力はだんだん薄くなっています。(下写真、左)ちなみにこの建物は現在ノンタイトルです、次に挙げる日銀京都支店旧館、東京の日銀本店旧館は国指定重要文化財です。設計者も同一、竣工もほぼ同時期、施主も同一なのに・・・。理由はこの建物が部分保存だからです。


竣工
 明治36年、昭和57年(改修) 所在地 大阪市北区中之島2-1

設計 辰野金吾 葛野萬司 長野宇平治 

改修設計 日建設計 施工 大林組

構造 煉瓦、石造2階、地下1階


  





日本銀行京都支店:現、京都府京都文化博物館別館




先の日銀大阪支店の三年後に竣工したこの建物は明らかに大阪のものとはスタイルが違います。大正時代にはいって竣工した「東京駅」の意匠の原点はここにありというのがはっきりと分かります。 

そう彼はこの建物でレンガの本体に花崗岩のラインを走らせた「辰野式」とよばれる様式を確立し、竣工後の周りの反応と、自分自身の手応えがあったことから、かねてからの願望であった「東京駅」の設計をこのスタイルで挑んだのだと想像します。

この建物は現在は博物館の別館として利用されていますが、その場所が三条通りの外れで、現在では人通りが決して多いとは言えないところです。ただ日銀は国の主要銀行だけあって、各支店はその土地の一等地であり、目抜き通りに建設されるのが慣例だった事から、このあたりのかつての賑わいは相当なものであっただろうと想像できます。


竣工 
明治39年 所在地 京都市中京区三条通高倉北西角

設計 辰野金吾、長野宇平治

構造 煉瓦造2階建

 






大正時代

 

 

 
 
村井銀行七条支店(現東邦生命保険京都西貯蓄営業部)

 




この銀行は、たばこの民営時代に「ヒーロー」という名のたばこで巨額の富を得た
「たばこ王」村井吉兵衛が新事業として立ち上げた銀行です。その七条支店の建物で、京都市内には他に五条大橋東詰と祇園に店鋪がありました。(下写真左、旧祇園支店。右写真、旧五条支店)

小さな建物でありながら全店舗の建物が残っている事は建物のクオリティーが高いのと同時に京都という土地柄でもあるのでしょう。ちなみに旧祇園支店の建物は国指定登録有形文化財です。


旧村井銀行祇園支店 
竣工 大正13年 設計 吉武長一 施工 清水組

旧村井銀行五条支店 竣工 大正13年 設計 吉武長一 施工 清水組


 


この時代は明治5年に制定された
「国立銀行条例」というものがあり、個人でもそれ相応の資産を持つ人は銀行事業を立ち上げる事が出来、それにより全国には小規模ながら個人銀行がたくさんあったそうです。しかし昭和初期の大恐慌前後にはこれらの銀行は取り付け騒ぎが起こり、ほとんどが消滅し、この村井銀行も昭和2年に破産しました。

建物本体は、「山椒は小粒でヒリリと辛い」というのでしょうか、前を走る車と比較しても分かるように大変コンパクトな建物です。その小さい建物本体に当時の銀行建築の要素を詰め込んだという感じです。4本のドリス式オーダーがこの小箱に迫力と威厳を与えています。個人銀行ではありますが、施主の村井は銀行建築に必須といわれたオーダー列柱だけは譲れなかったのでしょう。しかも4本というのが。

おまけとして大阪にある、この建物と良く似た上もっとコンパクトな建築の写真をあわせて掲載します。

 


写真
 村井銀行七条支店

竣工 大正3年(1913)  所在地 京都市下京区七条通東中筋角  

設計 吉武長一 施工 不祥  

構造 レンガ造り2階 建築面積 496平方メートル

 

写真  川崎貯蓄銀行福島出張所(現 ミナミ株式会社)

竣工 昭和9年(1934) 所在地 大阪府大阪市福島区福島5-17-7

設計 矢部又吉 施工 竹中工務店

構造 鉄筋コンクリート造2階地下1階建 建築面積 206平方メートル

 


 

 

 

 


 
山口銀行京都支店(現、北国銀行京都支店)

 




JR東京駅とよく似た意匠のこの建物は、その東京駅を設計した
辰野金吾(1854-1919)が関わった作品です。先に挙げた日本銀行京都支店はこの建物の目と鼻の先にあります。

全体的には直線的な意匠が印象的な建物で、この建物が角地に立地の為、直角に面する部分を強調する作品になっています。特に角部の上部に設置されたドームはそのことを示しています。ちなみに先に挙げた曽禰達蔵とは東京帝国大学時代の同級生で、彼等は日本で本格的な建築家を育てたジョサイア.コンドル(1852-1920)の第一期門下生です。

この山口銀行は江戸後期、大阪の唐反物商・両替え商の山口吉郎兵衛が設立した百四十八銀行が始めで、船場の問屋・商社を営業基盤として発展し、この京都にも支店を構えるようになりました。しかし昭和初期の不況により資産内容が悪化してきました。そんな時期の昭和8年に在阪の三十四銀行、鴻池銀行と合併して三和銀行(現UFJ銀行)となりました。そういう会社沿革のため現在でも大阪には三和銀行(現UFJ銀行)の店鋪が多数あります。

現在は北陸を中心に業務を展開している北国銀行の京都支店がこの建物を使用しています。

 


竣工
 大正5年(1916) 所在地 京都市中京区烏丸通鮹薬師南西角

設計 辰野、片岡建築事務所 施工 不祥 

構造 鉄筋コンクリート造2階

 


 

 




三菱銀行京都支店(現 東京三菱銀行京都支店)




京都の中心部である四条烏丸の交差点、南東に今でも堂々と佇むこの建物、今迄擧げた大正時代の銀行建築では一番迫力のある建物です。

先ほどの山口銀行と同じようにこの建物も角地にありますが、中心部から翼状に広がる建物の造りはNHK大阪放送局と同じ構造になっています。一見しただけでは分かりにくいのですが、列柱間隔でいうと烏丸通り沿いのほうが二間分長く作られています。用地の形もありますが店鋪を人にアピールするというのも商業建築の仕事なので、この当時の人通りの多さは烏丸通りに軍配が上がったようです。現在はまったく逆になっていますが。

建物を設計した桜井小太郎はこのページの昭和時代のパートで取りあげる、「横浜正金銀行神戸支店」の設計者でもあります。この横浜正金銀行は後の東京銀行となり、この三菱銀行はその東京銀行と合併となるということは設計者は勿論、当時の人たちは全く想像もつかなかったことでしょう。


追記、この建物の撮影をした時点(2003年夏)では解体されるなどとは予想もしていませんでしたが、いつの間にか解体作業に入っていました。この敷地に新しい店鋪を建てるとなるとその資金はどこから捻出されたのか不思議でなりません。この金融不況の時期に。


竣工 
大正14年 所在地 京都市下京区四条通烏丸下ル

設計 桜井小太郎 施工 竹中工務店 

構造 鉄筋コンクリート3階造 建築面積 2,040平方メートル


 

 

 




昭和時代(戦前)

 

  三井銀行船場支店




この建物は堺筋沿いに現存はしています、ただ銀行の看板も下ろされ、これからどうなって行くのか分からない建物です。

現時点では(2003年初頭時点)では国が認定するタイトル(登録有形文化財や重要文化財など)を全く保持していないので、恐らく、時期を見て解体という事となるでしょう。

建物本体は下に擧げる銀行共々オーダーを配置し、極装飾を排した後期古典様式の物ですが、設計がニューヨークに事務所を構える、トローブリッジ&リヴィングストン建築事務所というのが印象的です。

この当時、日本には銀行を設計できる日本人建築家が幾人もいたのに、敢えて外国の建築事務所に発注したというのは、他の銀行との差別化の意味もあったのでしょうか。もしくは東京日本橋の三井本館の設計絡みで来日していたこの事務所と何軒か設計するという契約だったのか・・・・・


追記 上の文章で記載した時点でも危惧していたのですが、2004年夏、この建物は惜しまれながら解体されました。このページで紹介している解体物件はいずれもノンタイトルです。登録文化財では解体を阻止する権限がないのですが、重要文化財にさえ認定されればと、建物を見る側は考えてしまいます。この物件は銀行の手を離れ、別の会社が再利用するはずであったと聞いていただけに、残念でなりません。


竣工 昭和6年 所在地 大阪市東区(現 中央区)北久宝寺町2-6

設計 トローブリッジ&リヴィングストン建築事務所 施工 竹中工務店

構造 鉄骨鉄筋コンクリート3階造


 

 



 
住友銀行神戸支店





この建物は中之島のページで紹介した
住友銀行本店(下写真)の建物と兄弟建築と言っていいものと思います。



どちらの建物も茶褐色で装飾が出来るだけ抑えられたものですが、こちらの弟建築、神戸支店は三つのアーチの枠に仕立てられたアラベスク紋様の柱が、かたや兄の大阪本店は正面玄関前の二本の巨大オーダーが建物全体のインパクトを決定付けているものとなっています。

私個人の印象では最も好きな銀行建築の兄弟です。

この茶褐色というのも印象に残る一つとも思います。このページで挙げている銀行建築でも茶褐色というのは無く、ほぼすべてが石の色であるグレーというのが定番であるようです。この事は、この兄弟を設計した当時の住友工作部の異彩とそれを許可した住友銀行本部の懐の深さが私に突き刺さってきます。

加えてこのシンプルな全体意匠の中に大きなインパクトを加えて、建物そのものに個性を持たせるという方法は、現在最も好まれ、多用されているスタイルです。

この兄弟建物にはその原点が見えます。

現在この建物は、銀行としての役目を終え、ファッション雑貨のテナントが入って、若者達に人気を博しています。


竣工
 昭和9年 所在地 神戸市中央区栄町1-1

設計 住友合資会社工作部 施工 清水組

構造 鉄筋コンクリート3階造


 

 

 

 


 
住友銀行京都支店旧横浜正金銀行神戸支店(現 神戸市立博物館)

 




これぞ昭和の銀行建築の
最終型といわれるもので、この構造を基本スタイルをもった銀行建築の建物は、いまでも主要都市のあちこちで、特に旧財閥系銀行の建物として残っています。

この建物自体は、当時の不況時代背景から大銀行住友でも各店舗の建設公費も削減されていましたが、ここ京都は住友家のお膝元ということもあって存分に予算が費やされました。建物全体に装飾を施すというより正面玄関を覆うイオニア式オーダーピラスターの周りに装飾をまとめたという感じで、古典主義の建築の中では新しいスタイルの建物構成になってます。この建物の設計は、昭和8年の住友工作部の解散により独立した、長谷部鋭吉(1885-1960)と竹腰健造(1888-1981)が設立した「長谷部、竹腰建築事務所」(現 日建設計)の作品です。

そんな沿革をもって建てられたこの建物もあっさり解体されてしまいました。

住友家の威信と誇りが詰まった建物でも「古いから、使い勝手が悪いから」という理由で、過去の誇りは簡単に捨てれるようです。この場所に新店舗を建てるとなると、それはこの建物を超える威厳を持った誇り高き物になるのでしょうか? 答えは明確、それは不可能です。間接的に国民の援助で経営がなんとか成り立っている現在の都市銀行では無理でしょう。そんなに新しい社屋が欲しければ、自社で稼いだ資本で立派な建物を建てて下さい。その時が来るまでは、この建物を残してほしかったものです。

 
もう一件は、横浜正金銀行神戸支店です。神戸旧居留地の東入口となる京町筋にそびえるこの建物は第二次大戦後は東京銀行神戸支店となり、昭和57年より神戸市立博物館の建物として使用されてます。建物四隅をルスチカ仕上げの石を積み上げ建物エッジのビジュアル的な印象を引き締めています。このことが住友銀行京都支店との意匠印象の違いをはっきりさせていると思います。

この作品も装飾を極力排した新古典主義の建物となっていますが、6本のドリス式オーダーだけはしっかりと設置されています。

設計者の桜井小太郎(1870-1953)は、日本人として初めて英国公認建築士となった人物で、他の代表作として三菱銀行本店、丸の内ビルディング旧館などがありますが、この横浜正金銀行神戸支店を最後に建築の実務からは離れてしまいます。事実上の引退作品です。


この横浜正金銀行は、外国貿易金融を専業とする特殊銀行として明治13年に設立されました。昭和の初期「金解禁」に踏み切った浜口雄幸内閣の大蔵大臣、2度の日銀総裁を勤めた
井上準之助も大正前期には頭取を勤めていました。第二次大戦後は外国為替専門銀行の東京銀行へと営業形態と名称が変わり、バブル崩壊後、三菱銀行と合併し現在の東京三菱銀行に至ります。

この二つの異なる銀行の建物全体のシルエットが似ているのは、やはりこのスタイルが戦前の都市銀行の建築の主流だったということでしょう。

 


住友銀行京都支店

竣工 昭和13年(1938) 所在地 京都市中京区烏丸通三条下ル

設計 長谷部、竹腰建築事務所 施工 大林組

構造 鉄筋コンクリート造3階

 


  


横浜正金銀行神戸支店 : 現 神戸市立博物館

竣工 昭和10年(1935) 所在地 神戸市中央区京町24

設計 桜井小太郎/桜井建築事務所 施工 竹中工務店

構造 鉄筋コンクリート3階  建築面積 1775平方メートル

 




〜昭和時代(戦後)〜




三和銀行京都支店:現、UFJ銀行烏丸支店




昭和27年、四条烏丸の交差点に銀行の建物が竣工しました。

しかしこの交差点に建つ様式建築の「三菱銀行」「三井銀行」とは明らかに違う建物です。

唯一共通するのは「オーダー」です。

この建物のオーダーはおそらく日本一巨大で、建物4階分の高さがあるものニ本が正面玄関に鎮座していまます。

内部に関してはそれまでの銀行建築に見られた豪華さ重厚さは全くなく、機能性が重視された簡素なものとなり、これまでの銀行の専売特許であった様式意匠からは全く懸け離れたものです。

外観に関してはこの建物は様式建築からの決別建築で、これを最後に銀行建築の意匠は様式意匠は見られなくなり、簡素な意匠の建物へと移項していったのでした。

さよならの代わりに巨大なオーダーを置いておきます」と建物に言われているようです。

三菱銀行で始まった関西の銀行建築の歴史探訪はこの三和銀行の建物で打止めとなります。


そしてこの2つの銀行は2005年合併します。


竣工
 昭和27年 所在地 京都市下京区四条通烏丸西入ル

設計 三和銀行建築課 施工 大林組

構造 鉄筋鉄骨コンクリート5階地下1階造 建築面積 6,111平方メートル


 

 


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